救急車に1年に2回も乗った話
今年は2回も救急車に乗った。
健康優良児!?として、御年50代後半。
多少アトピーで皮膚科や歯医者などにはかかったが、
大きな病気はこれまで一度もない。
20代後半で独立したので、それから健康診断はしていなかったし、
女性特有の乳がんや子宮がん検診とかもほとんどしてこなかった。
機会がなかったから。
一度だけ、30代のとき、子宮がん検診したかもしれないが、結果はなんともなかったと思う。
そんな私が、この数年は、病院にお世話になりっぱなし。
しかも、今年は、救急車に2度もお世話になっている。
多分、もう私たち人類は、病気とかと無縁になっていくから(だいぶ長い目で見てね)、きっと、今体験できることを、思いっきり体験しているのだろう。
そんな話は、またの機会として、救急車に乗ったことを書いてみたいと思う。
病院嫌い、私は、病気とは無縁、と考えてきた私だったが、実は数年前から、ときどき呼吸困難になる症状が気になっていた。
あることがきっかけで、大勢の前で話す講演会の講師の仕事をするようになった。
もともと講師の仕事はしていたので、長時間話すことになんの問題もかかえていなかったが、どういうわけか、話していると途中で息が切れてくるようになった。
2021年の春ごろから、と思う。
そして、喘鳴(ぜんめい)と言われるような症状があって、そのころから、「喘息持ってる?」と聴かれるようになった。
喘息持ちではないし、それまで気管支が悪いといったこともなかった。
しかし、それは、話しているときだけでなく、テニスでラリーをしているときや、出張でスーツケースを持って移動しているときや、階段上ったり、山歩きをしたりすると、どこでも症状が出るようになった。
しかし、症状が出ても、しばらくすると、落ち着き、呼吸は元に戻る。
喘息かと思い、病院へ行けば、診断は、だいたい喘息の初期症状。
あるいは、更年期障害で、心臓疾患があるかも?とか、まあ、いろいろ。
喘息用のネフラーゼとか、いろいろ薬を出されて飲んでみたが、まったくもって改善はしないので、喘息ではないな、と思っていた。
しかし、どうにもこうにもならないときが来た。
それが、2024年4月のこと。
仕事で長野県の諏訪へ出かけたときのことだ。
講演会があったのだが、翌日は、諏訪の歴史をたどったリトリートを行う予定だった。
それで1日前に諏訪に入って、リトリートの予定場所を下見。
そのとき、どうも、呼吸がきついことが続いた。
いつもなら、少し休めばどうにかなるところが、ならなかった。
といって、気分がすこぶる悪いわけではなく、食欲もあるし。
ただ、だいぶ疲れていたことは確かだ。
激しく呼吸困難になったのは、その夜のこと。
夜中に、急に咳が出始めて、しばらくしたら、呼吸が苦しくて、ゼーーーゼーーーと、胸で大きく息をしなければ、息ができないほど苦しくなった。
とにかく、咳は、どうやら風邪っぽかったので、とりあえず、ヒーリングウェーブで「咳」や「風邪」の周波数を直当て。
すると、しばらくしたら、少し楽になって、眠りにつくことができた。
しかし、朝、起きてからは、やはり息が苦しい。
なんとか収まらないか、と願ったが、厳しかった。
リュックを背負ったら、いきなり息が出来なくなって、困った。
とりあえず、部屋を出て、仲間と待ち合わせをしているので、ロビーまでは行かなければ、と思い、リュックを手で持ち、大きく息をしながらエレベーターを降りた。
仲間と合流し、ホテルから会場までは車で数分。自分の車をなんとか動かして、会場の駐車場に入れた。
しかし、もう息ができないので、とにかく、救急車を呼んで、と仲間にいった。
そしたら、その会場のビルに、小児クリニックが入っているので、とりあえず、そこへ行きましょう、と連れてってもらった。
クリニックでは、すぐに対応してくれて、酸素吸入をしてもらった。
それで、多少、落ち着いてきてはいたのだが、体の酸素濃度がちゃんとあるのに、呼吸困難になっているので、先生が怪しんだ。
「喘息ではないかもしれません。ほかの病気かもしれませんから、救急車呼びますから、大きな病院で診てもらったほうがいいと思います」と。
この先生の判断はさすがだったと思う。
それで、諏訪赤十字病院へ搬送されたというわけ。
数分で(本当に早い)、まもなく救急車がやってきて、救急隊員がドカドカと入ってきた。
そして、私に「大丈夫ですか?」「運びますね」「座っていたほうが楽ですか?」などと声をかけてもらいながら、座ったままのほうが楽だったので、そのまま担架で移動。
救急車の中では、体温や脈、問診など、テキパキと勧められた。
そして、なんといっても、状況がわからない患者を、とにかく、安全に運ぶことに徹底されていて、私は、体のどこも動かす必要がなく、すべてをゆだねることができた。
初めての体験だったので、その感動は覚えている。
救急隊のお仕事は大変だなあ、すごいなあ、と思った。
そして、「ありがたい」と思った。
ほんとうに、どうにもならないときは、こういう医療機関がちゃんとあるんだ、と。
そして、救急病棟に入ったら、医療スタッフが、すぐに点滴をして、安静になれる状態を保ってくれた。
そこまで、とにかくあっという間の出来事だったかのように、速かった!
そこから、大きな病院だったので、どこに原因があるかをさぐるために、いろいろ検査が始まった。
とにかく、喘息ではないようだ、ということは、最初のクリニックの先生の判断があったので、違うアプローチとなった。
それでわかったことが、「喉に何かある」ということ。
結論からいうと、それが、甲状腺にできた腫瘍だったのだが、それが大きくなって気管を圧迫していたというわけだ。
結局、その腫瘍に溜まった膿を針で抜いたことで、腫瘍が縮み、気管圧迫が軽くなった。
そんな応急処置で、呼吸は楽になって、夜、長野から帰ることができたのだった。
また応急処置をした先生は、甲状腺の専門医なので、入ってきてから、「あー、これね、膿を抜けば楽になるから」といって、スっと抜いてくれて、「多分、甲状腺腫でしょう。良性だと思いますが、応急処置なので、地元の病院にちゃんとかかってね」と。
(この先生が来るまでに相当時間がかかって、その間に、いろんなことがあったことは、別のnoteで書いたかも)
結論から言うと、おそらくその前日に、インフルエンザを拾っていたようで、それで夜中に風邪の症状が出始めたのだろう。
それで、喉が腫れて、余計に呼吸困難になった。
しかし、とてもわかりにくい病気であることは確かで、インフルにかかったことで、激しく呼吸困難になり、救急車、そして大きな病院、という流れになったことは、ラッキーだったと思う。
これが、1回目の救急搬送。
2回目の搬送は、つい最近、10月のこと。
自分の誕生日に、階段から転げ落ちて自力で動くことが不能になったので呼んだ。
またまた寝ころべない状態だったので、座位での移動となったが、これまた助けられた。
意識がないとかそういうことではないので、ある意味では、救急隊員もちょっと安心している様子はあった。
「生年月日言えますか?」
「‥‥年10月5日です。」
「今日ですね?・・・おめでとうございます、とは言えないですね」と少しゆるんでいう隊員の方(笑)
救急隊や救急スタッフはすごいなあ、と感じたしだい。
最近、救急車が毎日のようにサイレンをならしているのを耳にする。
私もその中の一人だが、いろいろな患者がいるのだろう。
ありがたいですね!
また、こういうお仕事に携わる医療の方たち、本当に大変なお仕事。
ありがとうございます!
ことしは、本当に、救急車にお世話になりました。
できるなら、もう乗りたくない!、乗らないのが一番ですが、必要な時は、頼るしかないですね!