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noteに登録して1年もたってしまった

ちょうど1年前、NOTEに登録した。そして、すぐに有料化した。
そのときは、伝えたいことがあったはずだったのだけども、
何を伝えればいいのか、まとまらず、下書きばかりがたまっていってしまった。

しかし、私は、物書きである。

昔は、自分の思いをどんどん言葉にしていくことができたのに、なぜ、素直に言葉にできないのか。

それは、言ってはならない言葉、だったからかな。
いや、どうして口にできなかったかは、あまりにも深すぎて、簡単に伝えられるものではない。

表現ができなかったからか、言いたいことをずっと我慢していたからか、私は、喉のチャクラに相当する甲状腺疾患を患ってしまった。

良性腫瘍の摘出手術だったが、手術は順調に済んだ。
しかし、首に大きな傷口ができた。

手術後の首の腫れも3か月ぐらいで、目立たないほどに引いて、
体力も回復し、暑さも落ち着き、やれやれ、ようやく外に出ていけるわ、と思った矢先、悲劇が起こった。

朝、寝ているところ、いきなり大声で吠えて走り出していったオテンバワンコを追ってしまった。

テニスで疲労がたまった腰痛で、治療を受けてたところ。
寝起きはすぐに体が動かないのに、外に飛び出していっては困るから、と、思わず、追ってしまって、しっかり体が立たないまま、階段の上でよろけて、転げ落ちてしまった。

足を滑らせたわけではないので、転げ落ちたという表現がぴったりの落ち方で、体中打撲してしまった。

打撲で済むならまだ良かったが、背中の第2腰椎を圧迫骨折してしまった。

だから、落ちてから30分ぐらい動けなかった。

腰のあたりの感覚がわからなかったからだ。

それから、母の杖を借りて、なんとか立ち上がった。

しかし、どうにも体が痛い。
椅子に座って、数時間立ったが、どうにでも痛みが治まらない。

骨折しているかもしれない、と思い、救急車を呼んだ。

パジャマをどうしようかと考えたが、体の痛みを抑えながらなんとか簡単な服装に着替えた。

まあ、多少、杖があれば動くことができたことはできたのだが、体中のあちこちが痛くて、しびれていたのは確かだ。

救急車を呼んでいいものかと思ったが、先に救急相談センターに相談したら、呼んでください、と言われたものだから、呼んだ。

担架に寝転ぶことは難しいので、座ったまま移動させてもらった。

ちょうど丸椅子があったので、そこに座位で運ぶためのシートを引いて、私が座ったところを救急隊が、せーので持ち上げて私を運ぶ。

ごめん、重いだろうに💦

しかし、救急隊のテキパキした対応に救われ、土曜日だったが受け入れ先の病院を見つけてくれて、無事検査を受けることができた。

レントゲンとCT。

しかし、そのときは、どちらも異常なし。
骨折もないとのことだった。

兄貴に迎えに来てもらって、なんとか車に乗せてもらって家に帰った。
ほんとに、杖があって良かった。
杖最高。

これがなかったら、歩けなかった。

で、痛みは、どこが痛いかわからないほど、あちこちが傷んだが、週が明けて、ちょうど、整形外科にかかる用事があったから、一度、先生に相談しようと、杖をついてなんとかタクシーで出かけた。

そして、腰の後ろが痛い、といったら、先生が、もう一度レントゲンとりましょう、といって、その結果、どうやら圧迫骨折をしていたのだ。

それから、30分ぐらいMRIに入って、詳しく診断。やはり、圧迫骨折。

ギブス作りましょうね。
できあがるまで、安静にしてくださいね、ということで、今、ギブスの完成を待っているところ。

と、まあ、最近の出来事だったので、詳しく書いてしまったが、少なくとも、この半年は、NOTEを書いて、発信するどころではなかったかもしれなかった。

実は、ここ3年程、えらく違う周波数のパラレルにいた私。
刺激的で楽しかったことは確かだったけれども、その一方で、体はとにかく大変で、何度か「死ぬかも?」と思うような、生と死の瀬戸際を何度も体験したと思う。

まあ、今回の、骨折で、体との戦いを締めることができると思うが、大きな1つの時代が終わったのだな、と思う。

そんなことを、いろいろ書いていこうか。
とりとめなくなるかもしれない。

でも、私の人生、ちょっとぐらい文字に残しておいてもいいかもしれない、と思っている。

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