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コミュ障として生きる

・初めに

「コミュ障は悪いこと。」
と今日の世界は言っているように聞こえます。
それは多様性を認める流行りに如実に現れていると思います。
皆が皆を認め、仲良くする事はコミュ障にとって特に難しい事なのです。
ですが、私は世間一般に言うコミュ障の大半は別に差程治さなくても良いと思うんです。
今回はその理由について話していこうと思います。


・そもそもコミュ障って話せない事?

まず皆さんはコミュ障と聞いてどんな人を想像しますか?
大体の人は、人と上手く話せなかったり、自分の意見や気持ちを上手く伝えれない人を想像すると思います。
言ってしまえば、暗くて世間から"陰キャ"と言われる人を想像するのではないでしょうか。
ですが、コミュニケーション障害とは、"人と関わる能力に問題があり、適切な関わりが難しい事"を一般に言います。
つまり何が伝えたいかと言えば、「別に話せてたからと言って、関わり方を間違えてれば立派なコミュ障である。」って事です。
人と喋れていない事は割と自分で分かると思うんですけど、上に書いたみたいな、関わり方が間違ってる場合は人に言われないと分からない場合が多いと思います。
こんな人、周りにいませんか?
自分の好きな事になると距離感がおかしくなってしまう、空気が読めない発言が多い、相手の考えがよく分からなくて会話がスムーズに進まない.....。
これらの一部はいわゆるASDだとか、ADHDとかって言う他の病気に割り当てられますが、大きく解釈すればぜーんぶコミュ障なんです。(逆も然りですが)


・私もコミュ障です

ここまで書いてきて、「コミュ障のことを知ったように書いてるお前はどうなんだ。」と読んでる方は思うと思いますが、私もコミュ障です。
主な症状を言えば、人の目を見るのが怖く、人と話す時も予め言うことや相手の反応を考えないと話しかけられないなどがあります。
私自身は、その症状は比較的軽度でしたし、治すべきだと思っていたのでどうにか人の目を見て初対面の人ともある程度話せるようにはなりました。(解決法はまたどこかで。)
ある程度、コミュ障が治った今ですが、やはり人前に出るのは嫌ですし、ストレスが溜まると症状が再び悪化する事もあります。
それは即ち元々自分が人と関わるのが苦手でどうしようもない事もあるという事だと思ってます。


・治すべきコミュ障

私はコミュ障の改善をしたと書きましたが、治すのにストレス等を感じるくらいなら直さなくても良いコミュ障も多いと思います。
歯に衣着せぬ言い方をすればコミュ障は所謂"障害"に入る病気な訳ですし、それを無理やり矯正する必要は無いのかなとは思います。
けれども、人に迷惑がかかってしまうコミュ障は改善の努力をした方が私は良いとは思います。
例えば、
「人と話せなくて最低限の報連相ができない。」
「相手と距離感が近すぎて不快感を与えてしまう。」などなど。
これを言うと「お前は実際にそういった病気とかを持ってないから言えるんだ。」と言う方も居るとは思います。実際そうです。分かりません。
私も必死に悩んで、治そうとして、それでも無理だった方たちに「治した方が良い」と言ってる訳では無いのです。
大事なのは「自分を多角的に見る」事だと思います。
「自分が何ができていないのか」
「どうしたら改善できるか」
「なんで改善できないのか」
「じゃあどうやって他者と付き合うか」
コミュ障どうこう以前にこれは全人類1回考えるべきだと思います。
自分がコミュ障だと言ってる人は少なからずこの1個目の工程は踏めてるのです。
ただ、それ以降の(特に4個目)の工程ができていない人が多いように感じます。


・コミュ障を抱えて生きる

どうしても改善できない症状ってやっぱりあるんです。私にも小さいながらあります。
だけどそれで開き直ってしょうがないとしてしまえばむしろ悪化した事になってしまいます。
じゃあどうするか?

コミュ障なりに人を使うのです

矛盾してるように聞こえますが、1回聞いてください。
例えば、人と話すのが苦手!ってなったら、仲が良い友人に伝えて貰えばいいんです。
一々迷惑になるのは憂鬱ですが、本当に最低限のラインを探してそれを頼めばいいんです。
まず人に伝えるのが大切ではないでしょうか?
仲が良い人が周りにいなければ、よく観察して、話せそうな人に頼めばいいのです。(多分人が怖い人は人をよく見る癖が既にあると思います。)
それが、自分に近い性格の人でも、もう少し明るい人でも、自分で話せる人なら誰でも良いと思います。
他にも、ついつい熱くなってしまうのを気にしているなら、周りの人に予め言っておいて、止まて貰うようにしておくのも良いでしょうか。
何にせよ、結局のところ当たり前の事ですがコミュ障は人と関わる事で問題が生じるのです。
なので1人で考えてどうにかなる事の方が稀なのです。
「コミュ障だから人と関わらない」というのは現状維持どころか、悪化に繋がります。
コミュ障を治すなら人との関わりの中でしか解決策は見つからないのです。


・下を向いて生きても良い

「人と話すべき」と書いた直後ですが、現実にそう上手くいくことは少ないと思います。
実際問題、前を向いて生きようと決めてる私ですが、やっぱり時々下を向いて誰の目も見たくなくなります。
そんな時に無理をして前を向こうとするとすっごく辛いんです。
段々と心がうずくまってしまって、遂には前に進む事すら辛くなって1人閉じこもってしまいそうになります。
だから、

「やるだけやって、無理になったら存分に下を向く!」

ってマインドぐらいがちょうどいいんじゃないかなって思います。
確かに私は、コミュ障を解決するためのは周りと関わるしかないとも思ってます。
それゆえに、下を向いてると進んでないように思える時ももちろんあって、ちょっとした罪悪感すら感じる時もあります。
だけど、もう仕方ないと私は諦めてます。
コミュ障は現代社会で生きづらい。
それは紛れもない事実です。
だけど上手く周りと関わる意思さえあればきっとどこかでほんの少しかもしれないけど変化があります。
人の観察からでも良いと思います。
無闇に話そうともしなくて良いと思います。
人の目が怖いならまだ見なくても良いと思います。
自分に可能な世界との関わり方を実践すればいいのです。


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