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せい

 音楽を作ってみたい。絵が描けるようになりたい。どこかずっと思ってるけど手付かずで気づけば数年の時が経ってしまった。ギターも買ったしペンタブ買ったりもした。最初の一歩というか半歩は行動した。しただけだ。記憶が正しければ一ヶ月が続いた。イラストはもっと続いたけど半年は続かなかった。理由を思い返してみたけど大体何かのせいにしてた。

例えばそれは仕事が忙しく練習の時間が取れない、例えばそれが今やってるソシャゲの熱が入って離れられなくなった。例えば..あげ出したらキリがないが自分の言い訳に自分で納得した結果がこれである。

ギターも弾けず絵も書けず、お金をかけたソシャゲさえ今では手付かずになってしまった。

それでも今の生活に不満はない、仕事もそこそこ慣れてきて頼りにされることも増えてきた。趣味はなけれど時間がある時は本を読んだり犬と遊んだり友達と出かけたりそれなりに暇は潰れている。家事も数年の一人暮らしの成果か食べたいものは買い物とレシピさえあればどうとでもなるくらいには上達した。

不満はない、が、満足はしてない。

思えば初めてなりたいと思った職業は大工だった。今でこそ信じられないが本当になりたいと思っていた。おじいちゃんの家が新しく建つということでその新しい家のあるとこに行ったら木材がただ並べらえて家とはとても認識できなかった。でもそれが一周間、一ヶ月となると骨組みができ、壁ができ、遂には家になっていた。素直に凄いと思った。何かを作るというのはすごいことなんだ。と本気で思った。これが小学生の頃の話だ。

そこからだろうか、授業は図画工作が好きだった。中学では技術が好きだった。高校ではそういうのはなかったが強いて言うなら美術が好きだった。でも高校では明らかな起点があった。吹奏楽部に入ったのだ。

音楽の授業程度ではなく自分の楽器を持ち、自分のパートを演奏する。今思えばもう少しちゃんと取り組めばよかったなとは思うがそれでも精一杯やれることはやった気がする。別に吹奏楽が有名な高校でもなかったし人数がアホ程いて響け!ユーフォニアムみたいな感じではなかった。規模で言うなら1/3くらい。少ない分頑張らないといけないのだ。でも正直、楽器を演奏したり公演をしたりの記憶よりも人間関係のいざこざが多くそこにリソースを吸われていたなと思う、男女関係は難しい。

そこから本当は大学に行きたかった。こればっかりは自分の力はどうにもできなかった。進学校ではなかったし就職がメインだ。そして何より親がそうしろと言った。今思えばここで喧嘩しといたほうが良かったなと思う。親は大学に行ってもいい企業に就けない、大手に就職するなら工業高校行った方がいい。結果としてはそれはそうだなと思うけど、それはそれだ。勉強は正直嫌いじゃなかった。大学の授業項目にいろんな国の言語があったり高校で教えてくれたことの先や細かいところを教えてくれるのはとても興味深いなと思った。ほんとだよ?
でも行かせてくれなかった。お金の問題もあると思う、今でも実家に行くと大学に行かせられなくてごめんねと言われることがたまにある。もう終わったことだし今更言われてもとは思うので適当にいいよいいよと返事を返している。

話が245°くらい脱線したが、文章を見たらわかるように大体何かのせいにして今まで片付けてきた人生だった。

これだけはないもっとある。親のせいにしたことも友達のせいにしたことも仕事のせいにしたことも犬のせいにしたことだってある。

そんな人生にけじめをつけたくてこの文章を打っている。きっかけはない、ただそう思ったから。

これから先、生きていく上で人のせいに何かのせいで諦めたりして俺はやれることやったしなみたいな顔して生きるのはもうやめよう。

便所。


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