ディズニー映画らしさとは~ラーヤから学ぶ~
”ディズニー映画” と言うと「子供向けだよね」という言葉が返ってくる。
A「ズートピアって観たことある?」
B『だってあれって子供向けでしょw』
A「いや、あれは人種差別や固定概念がコンセプトになってて…」
B『でも登場人物とか全員動物じゃん』
A「あの動物の毛並みをCGで再現するのにも労力を…」
B『お前しつこい』
A「えぇ…」
どんなに熱弁しようが、世間で話題になるまで観ない。
どんなに説得しようが、友達に誘われるまで観ない。
どんなに討論しようが、可愛いアピールしたい人だけが観る。
ここで声を大にして言おう。
「子供っぽい」という考えはコンテンツを廃れさせてしまう。オタクも10年前は煙たがれていた。それは子供っぽいからだ。だから当時はコンテンツを伸ばすことが難しかった。
要するに「子供っぽい」は禁忌とされる言い訳ではないのではないのか。
■「今まで」との違い
・奇跡や魔法を切り離したディズニー映画
今回のテーマは "信じる” ということ。これだけ聞いたら「いつもと何ら変わらないじゃないか」。私も観る前まではそう思っていた。しかしこの映画は今までとはまるで違った。信じたら裏切られるということに焦点を置いているのだ。(詳細は映画本編で)
ディズニーの定番ストーリーとは "今までの平穏が崩れる" というのが主流だったが、今作では平穏ということ自体が前提として、無い。登場人物全員が常に戦闘ができるよう心構えている。
そして「魔法」も「願い」も「神秘の力」も存在しない。
もちろんタイトルに書いてあるように龍は登場するが、あくまで補助的な役柄であり、重要な場面では一切登場しない。つまり居ても居なくても関係ないのだ。あるのは幼少期から鍛え上げた肉弾戦のみ。
愛の力なんて以ての外だ。キスで人を生き返らせる?愛が凍った心を温める?そんなことはナンセンスだと言い放つように、今作ではプリンスすら登場しない。野獣に変身する魔法や光る長い髪なんて存在しないのだ。
歴代のディズニープリンセス映画は、まるで絵本のようなお話だった。しかし今作はその要素をすべて排除している。つまり、幼児などではなく、青年以上をターゲットにした映画だと読み取れる。
・先入観から生じる違和感
《1》
前述したように、この映画のターゲット層は20代、またはそれ以上だと考えられる。しかし問題なのは、このターゲット層というのが、今までのディズニープリンセスの映画を嫌っている傾向があるということだ。その理由の一つに、"ミュージカル仕立てになっていること"が挙げられる。
もちろん、今作ではそれを取り払っている。要するに登場人物が歌うシーンは一切ない。証拠として「ラーヤと龍の王国」のサウンドトラックを飛ばしながらでいいので聴いてほしい
もちろん、この戦略にも大きな欠点がある。それは曲が耳に残らないという点だ。それも考慮したうえで、自分たちにメッセージを伝えようとする意志や、クラッシックなディズニーというコンテンツからの脱却する姿勢というものが窺える。
《2》
そして戦闘シーンというものがふんだんに盛り込まれている。
ハリウッドアクション映画さながらのカメラワーク、さばき方だ。そしてアニメの交戦特有の「何やっているか分からない」というものが皆無という偉業を成し遂げたのだ。これは劇場の巨大スクリーンでぜひ観てほしい。
《3》
今作の目玉と言って良いのが、CGの精巧さだ。生物以外に視線をやると、そこには紛れもない「リアル」がある。遠くの方で流れる水面は反射し、全ての木々は揺れ、瞳には反対側の世界が在る。そこにファンシーな要素は1ミリたりとも無いのだ。水が動くときはモアナのようなデフォルメはない。
(水がデフォルメされている例)
《段落まとめ》
これらの要点を読んで分かっただろう。
そう、今作は今まで続けてきたディズニーアニメーションの特徴がほぼすべて欠如している。悪く言うとディズニー作品を観ている意味が、頭を働かさなくては分からないのだ。
・主題への因果
前述したとおり、今作の主題は「信じること」だ。
そのつっかかりとして、パンデミックを彷彿とさせる設定が組み込まれている。なので、コロナ禍を体験している私たちだからこそ共感する設定や、演出が繰り広げられていく。
"自粛"というものが過去のものとなる前に、リアルタイムで視聴することで、世界観への没入度合いが高まるだろう。
なので金曜ロードショーでの放送を待つのではなく、なるべく早く視聴してほしいのだ。
■まとめ
・私がここまでして今作を推す理由
私が推す理由は2つある。
まずは1つめ。
ディズニー映画として5年ぶりに短編アニメーションが同時上映(併映)された。(ピクサーではよく行っているのだが)
今作の併映作品のために、【あの頃をもう一度】が作られた。これがまた、素晴らしいのだ…!
作中のダンスパフォーマンスは、歌手のジャスティン・ビーバーやビリー・アイリッシュとのコラボや、BTSの振り付け師としても知られるダンサーが担当した。
そしてアニメーションリーダーは「ベイマックス」と同じ監督が務め、楽曲は「キャプテン・マーベル」の作曲者が製作している。
これだけ巨匠が集まり、5分程度の作品を作ったのだ。面白くないワケがない。
この作品に¥1,100払っても私は構わないとさえ思った。
2つ目は、ただ単に興行収入が伸び悩んでいるためだ。
運営側への同情か?そうだ。好きなものに同情して何が悪い
興行成績が芳しないのにはこれらの理由が挙げられる。
・コロナでの劇場利用者の減少(1*
・ネット配信との並行上映 (2*
・運営の不手際 (3*
・箱の減少 (4*
1* コロナでの劇場利用者の減少
’20での日本全体の映画館で入場者数は1億613万人と過去最低で、これは25年前の歴代最低者数を1300万人も下回った。興行収入も前年度より45.1%も減少しており、これは映連が発足した1955年以降最低となったのだ。
しかもその22%は「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」。
2* ネット配信との並行上映
今作が初めて、ディズニー+と劇場公演を試みた。
なので「コロナだから劇場に行きたくない」という人と「外に出たくない」という人は、こぞって配信で視聴した。そのため、ディズニー+の利用者は、Netflixの利用者の半数をたった1年ちょいで到達という快挙を成し遂げた。きっと配信サイトから製作者にはしっかり金銭は支払われただろう。しかし、劇場は空いている席があり、なんとも不遇な境遇だと思わざるを得ないのだ。
3* 運営の不手際
Walt Disney Japan(以下WDJ)は日本の大手シネコンとの関係が悪化し、まるで893のような手法を取った。(詳しくは各自調べてくれ)
そのため、宣伝がおぼつかず、満足にいくような戦略通りにいかなかったのだ。それが興行成績が伸びていない大きな要因の一つだと言わざるを得ない。
4* 箱の減少
ラーヤ公開の3日後に公開された映画界をざわつかせる作品が公開されたのを把握しているだろうか。
それは「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」である。この映画は動員数が多く見積もられており、その分上映スクリーン数も多く取られている。そのためラーヤが1スクリーン、もしくは上映終了した映画館も少なくないのだ。
・結局は何が言いたいか
半日予定が空いていたり、1,000円札を持て余していたり。
そんな人全員に胸を張っておすすめできる映画だ。この映画は万人受けするだろう。一人でも楽しめるだろう。友達と語り合えるだろう。しかし、現状、そうなっていない。
それは、この映画が知られていないからだ。
もしこの文章を読んで、劇場に足を運んだらきっと言うだろう。「これは宣伝方法が悪い」と。
引用:https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/698764