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悲しみの果て
今日は娘の三者面談があった。
学校での様子、成績の話などを一通り話し終えたところで、先生が「気になることや質問はありますか」と聞いてきた。
私は「楽しく学校に通っているようなので大丈夫です」と伝えた。
長男のことがあり、
私の価値観は少しずつ変化して
本人が元気で楽しく過ごしてくれたら
それが1番だと思っている。
長女は私からみて相当頑張り屋さんだ。
先生も「責任感も強く、クラスをまとめてくれて助かっている」と言っていた。
十分すぎる。
とてもよく頑張っている。
こんなに大きくなって…
感謝でいっぱいだ。
いろいろな人の話を聞くと
子どもが健康に大きく育つのは
奇跡としか言いようがない。
生まれてから3歳までは本当に必死で
夜中に何度も息をしているか確認した。
今回の長男のインフルエンザでも改めて思ったが
もし何か病気になって、熱が下がらないとか
異変があったら
いつも観察して育てているのは親なので
おかしいなと思ったら
早めに病院に行ってほしいと思う。
病院の人も忙しそうだな、この程度で大げさかな?
と思うこともある。
ほとんどの場合が回復して大事には至らないことが
多い。
でも、いつもより明らかに子どもがグッタリしているなど異変があったら食い下がらずもう一度検査してもらいたいなど伝えたほうがいいと思う。
大切な命を守れるのは親だけだと思うので。
どういう経緯であれ、
子どもを産み育てることになったなら、
悲しい思いはしてほしくない。
こんなに悲しいことはない。
この悲しみは乗り越えられないのだろうと思うが
私の周りの子どもを亡くしてしまった人たちは
本当に優しくて良い人ばかりだ。
深い悲しみとともに生きているが
暗い印象はなく、だからといって強い印象もない。
軽々しい表現しかできないが
聖母のような
オーラはみえないが
柔らかい光のイメージである。
悟ったような懐の深さがある。
私は今日も子どもたちを抱きしめた。
なんてふわふわで温かい。
逆に抱きしめてもらっているのかもしれない。
私は子育てで悩んでいる当人だが
何の因果か説明がつかないが
私のもとへ来てくれた3人の子を
これからも責任を持って大切に育てる。
悲しみの果てに
何があるかなんて
俺は知らない
見たこともない
ただ あなたの顔が
浮かんで消えるだろう
涙のあとには
笑いがあるはずさ
誰かが言ってた
本当なんだろう
いつもの俺を
笑っちまうんだろう
部屋を飾ろう
コーヒーを飲もう
花を飾ってくれよ
いつもの部屋に
悲しみの果てに
何があるかなんて…
悲しみの果ては
素晴らしい日々を
送っていこうぜ
悲しみの果ては
素晴らしい日々を
送っていこうぜ
2019年の新春ライブ。
次男を妊娠中だったが観に行った。
悲しみの果てを聴いて涙したのを思い出した。
どんな言葉を使っても空々しいが
本当に何度も救われた大切な曲である。