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子どもの手は離さないように
せなけいこさんが亡くなった。
子どもが幼い頃、本当にお世話になった。
ふうせんねこをよく読み聞かせた。
ぷーぷーねこが怒って膨れすぎて
飛んでいってしまう話だ。
「かあさん やねで よんでいる」
月明かりの下、かあさんねこが
屋根の上でぷーぷーねこを呼んでいる絵が
切ない…
母親というのは不思議なもので
我が子を見失うと
この世の終わりくらい心配する。
迷子になった時
この一瞬で誘拐されたら…
エスカレーターを乗り出して首を挟まれたら…
頭の中でグルグル考える。
怒った時は「いなくなってしまえ‼︎」
と思うこともあるが
いざいなくなると
恐怖で狂いそうになる。
ほんの5分くらいの時間が
ものすごく長い時間に感じて
絶望感で押しつぶされそうになる。
子どもを迷子にしてしまった日は
鮮明に覚えていて忘れられない。
見つかって抱きしめた時の安堵感はすごく、
腰が抜けるほどだ。
かあさんねこの絶望と苦しみは
計り知れないだろう。
頼むからぷーぷーねこがしぼんで
かあさんねこの元に戻って欲しいと願う。
同様に
「ねないこだれだ」も恐怖だ。
最後の「おばけのせかいへ とんでいけ」
のところで、子どもの足がもうおばけなのだ。
そして「おばけになって とんでいけ」で
子どもの形はなくなり完全におばけに変わっている。
足がないということは、二度と戻ってこれない
ということだ。
大切に産んで育ててきた我が子を失う恐怖。
せなけいこさんは
親の私に決して目を離さず
大切に育てなさいと伝えたかったのかもしれない。
私はかこさとしさんも大好きだ。
「未来のだるまちゃんへ」という本がある。
印象に残っている文章がある。
戦時中、自分たちがやったことは全部、忘れたみたいに棚上げにして、まるで被害者のような顔をしている。挙句の果てに「初めから戦争は反対だった」と言い出す始末で、新しい時代を謳歌しようとしている。
もう嫌だ。こういう大人たちにはつきあいきれない。
十九歳までの僕は誤っていた。
これまでの自分は、昭和二十年で死んだのだ。
ここから以後は、余生である。
余生というからには、先に逝った仲間たちの分も生きて、自らの誤りを償わなければならない。
それには何ができるのかを、真剣に考えて、それを実践し続ける。そのために残りの人生を捧げ尽くそう。
昭和一桁代の生まれの人は戦争中が多感な時期だったので、敗戦後の激動の変化に驚いたのだろう。
大林宣彦監督も赤塚不二夫さんも
いかりや長介も。
大林宣彦監督は「平和孤児」と表現している。
せなけいこさんも戦争という激動の時代を生きてきた一人だろう。
何があっても親は子どもの手を離すなと
伝えたかったのかもしれない。
最近の息子のお気に入りは
「ちいさなたまねぎさん」だ。
すっかり遅くなったが
今日は泣きながら読んで寝かしつけようと思う。