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言葉ばかり必死になって

40年以上生きてきて、
誰かに言われて印象に残った言葉って
少ないなと思った。

「自分が思っているほど他人は自分を気にしていない」
という言葉について、
「私は人のこと気にしているからそんなはずない」
と思っていた。

でも私は自分でも驚くほど
誰かに言われた言葉を正確に覚えていないことが
分かった。

私、人に興味あると思っていたけど
違うのかもしれない。
はたまた、都合のいい性格なのかもしれない。

祖母に言われた
「あなたはどこに行っても大丈夫」
という言葉は覚えている。

嬉しい言葉も悲しい言葉も
大切な言葉だったはずなのに
私はそのほとんどを忘れてしまった。

なんでこんなこと思ったのかというと、
父と最後の電話で10分くらい話したのに
これといった印象に残る会話を
していなかったせいで忘れてしまっているのだ。

もう忘れているのだ。

「ご飯食べれたよ。床ずれ治ってきたよ。
お母さんはタクシーで帰ったよ。」
しか覚えていない。

孫の声を聞かせたら喜んでいた声と…

最後の電話と思っていないから
自然な感じで終わってしまった。

日常というのは、風がそよそよ吹くような
雲がゆったり流れるような
意識していないと印象に残らないことだらけだ。

これからもあらゆることを忘れていくのだろう。

お話好きでたくさん一方的に話してしまう人に対しても、不快という感情が残るだけで
具体的にどんな言動が楽しかったとか、嫌だったとか
覚えていない。


逆に、あまり普段お話しない人が、
意外な考えを伝えてきたりした時も
場面は覚えているがパッと内容は思い出せない。

私は誰よりも感覚的に生きているのかもしれない。
匂いや温度、周りの風景、触れたぬくもり
嬉しかった楽しかったという感情と景色で記憶しているようだ。

言葉というのはいらないのかもしれない。
私は最近ますます無口になってきてしまっていることに気づいた。

溜め息の訳を聞いてみても 自分のじゃないから解らない
だからせめて知りたがる 解らないくせに聞きたがる

あいつの痛みはあいつのもの 分けて貰う手段が解らない
だけど 力になりたがる こいつの痛みも こいつのもの

ふたりがひとつだったなら 同じ鞄を背負えただろう
ふたりがひとつだったなら 別れの日など来ないだろう

言葉ばかり必死になって やっと幾つか覚えたのに
ただ一度の微笑みが あんなに上手に喋るとは

いろんな世界を覗く度に いろんな事が恥ずかしくなった
子供のままじゃ みっともないからと爪先で立つ 本当のガキだ

夕焼け空 きれいだと思う心を どうか殺さないで
そんな心 馬鹿正直に 話すことを馬鹿にしないで

ひとりがふたつだったから 見られる怖さが生まれたよ
ひとりがふたつだったから 見つめる強さも生まれるよ

理屈ばかり こねまわして すっかり冷めた胸の奥が
ただ一度の微笑みで こんなに見事に燃えるとは

ふたりがひとつだったなら 出会う日など来なかっただろう

大切な人に歌いたい 聴こえているのかも解らない
だからせめて続けたい 続ける意味さえ解らない

一人で見た 真っ赤な空 君もどこかで見ただろうか
僕の好きな微笑みを 重ねて浮かべた夕焼け空

ただ一度の微笑みに こんなに勇気を貰うとは
ここまで喉が震えるとは

真っ赤な空を見ただろうか BUMP OF CHICKEN

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