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余白が必要だ

幼い頃は暇すぎて

空の雲の形がだんだん変わるのをずっと見ていたなぁ

なんてふと思った。

ヤマザキマリさんが書いた『貧乏ピッツァ』を
途中まで読んだのだが(もう返したからうろ覚え)

古代ローマのプリニウスという人が、ハチミツが大好きだったそうだ。

ミツバチがハチミツを作る様子を丸2日だったかな?
ずっと観察していたとのこと。

なんか余白とは違うけど、
丸2日もミツバチだけずっと観察って
贅沢な時間だなと思ってしまった。

暇さえあればスマホを見て
noteやらInstagramやらTikTokやら…

ボーっとしていないことに気づいた。

昔は電車に乗っていても
電車の音や周りで話している声聞いたり

学生だからお金もなくて
ウォークマンもなかったから

音楽も自由に聴けず
興味があるないに関わらず
耳に入ってくる音を楽しんでいた。

暇だから自転車でどこまでも行った。
その時は風も感じてたなぁ

もっと幼い頃は川で産卵を終えたサケが死んでいるのをボーっと見て

道路を眺めて、通り過ぎる車数えたり

日が傾く様子とアロエに当たる光について観察したり

なんと尊い時間だったのだろうか

そして必要な時間だった。

うちの子どもたちはYouTubeのショート動画を観ながらゲームをしている。

自分の興味のある膨大な情報だけを
せわしなくスクロールして

印象に残った動画を聞いても
覚えていないし2度とその動画に出会えない

何ひとつ得るものがない。

暇を余白として楽しむ力がないらしい。

時々無性に海を眺めたくなったりするのは
頭を空っぽにして余白に没頭したいんだろうな。

スマホを置いて
ぶらぶら散歩でもしてみようかなと思う。

そぞろ歩き
歌詞とは裏腹に激しい歌い方だ。

うらやましきはカラス共に
我が肉食えやと言いたる詩人よ
ああ なぜに俺は家の中で暖まりながら
またゴロゴロとしてあくびして
不真面目にこの俺はいつも
「おお、我が余命いく日なりや。」と
老爺を気取りて指おり数え、
ああ俺はあわれな凡人よ

―明日も笑顔で人と話し―

座る電車の座席の前に
手すりにもたるる老婆がひとり
ああ 恐ろしき世間の前に
俺は座席を立つものよ

楽しげに ああ 人と会い、笑い、
希望は失せたが死ねぬ身の
せめては余命いくばくなりや、と老爺を気取り、
ふとんで涙をしぼりて
町に出、笑い、凡人ああここに有り

この俺はいつも
「おお、我が余命 いく日なりや。」と
いつか老爺となる日を待つ身となった
この俺はあわれな凡人よ

俺は生活を追い求む、
世間に食われ命をけずり、
孤高のうちに死すより
俗なる我が世間に遊ぶものよ、
今日も町に出、手足取られ導びかれ、
我が同類と
もたれ合い、あざけり合いて、
凡人の意地と意地、
命がけなるそぞろ歩きよ

死んだら、俺が死んだら
立派な墓を
人のあわれを誘う悲しい墓を建ててくれ

俺は歩く「金」と「平和」と「女」と「虚名」を求め
世間と手を取り合いて散歩き
今日も世間を散歩きよ

凡人−散歩き− エレファントカシマシ





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