【屋久島旅日記⑤】 時を旅する
2024.5.10(金)
前回の投稿からだいぶ空いてしまった。
屋久島で感じたことは壮大で悠久で、とても間に合わないけれど、できるだけ言葉にしてみようと思います。
屋久島滞在は2泊3日。
本当は、このゴールデンウィークの旅行で、私は北海道に行きたかった。
日程的に無理があるので、仕方なく夫が行きたがっていた第二候補の屋久島に行くことになった。
なぜ北海道かといえば、今見ている世界と全然違う世界を見たかったから。
屋久島は南の方だし、海と山に囲まれている点でも、比較的高知と近いようで。
違う世界を見る、という面ではそれほど期待をしていなかった。
ところが、今村さんに案内されたツアーで見たのは、5億年近く前から連面とつながってきて今自分が立っている、地球の姿。
目が開けたような気がした。
もうそれを知る前の自分には戻れないと思った。
例えば、『土を育てる』(ゲイブ・ブラウン著/服部雄一郎訳)で読んだ、土の中には、菌やバクテリアや肉眼では見えない位の小さな生き物、命が、土と木の根っこの中立ちをしていること、土の中にはミクロの宇宙が広がっていて、目には見えないけれど、確かにあること。
感動したら実感したくてたまらなくなり、庭で畑をいじってみたりしても、なかなか実感が伴わなかった。
ところが、ネイチャーガイドの今村さんが、緑色の苔をそっと持ち上げて
「今、生きている苔の下にある、枯れた苔が、菌やバクテリアの働きで分解されて土になっているんです。
その中には無数の命、ミクロの宇宙があるんですよ」
河原でやや黒ずんできている石を手に取って、
「表面を擦ったら、指に色がつきますよね。これが菌の作用なんです。
苔が生えることのできる環境が、菌がいるおかげで整ってきてるんですよ」
と説明してくれるのを見るうちに、じゃあうちの家や庭で黒ずんできている石やブロック塀や木のパーゴラ、あれも菌の作用なのか、ああやって自然は元の姿に戻ろうとしているのか…。
自分の中で少しずつつながっていく。
つながるって、何が? 頭の中と目の前の世界が。
地球上に陸ができ、海藻が突然変異で陸地に上がった頃(少なくとも4億7千万年以上前)からの地球にさかのぼって、植物と土と水と菌とバクテリア、苔やシダや紅葉、杉の話。土砂崩れまでも命の循環としてつながっている。その成り立ちを初めて目で見て実感した。
それは時を旅するようだった。
今村さんは解説者だった。
一つ一つ示して、水の流れや木の関係を見せてくれる。
水の流れ。 地面の上を流れる水だけではなく、地面の下にも水の流れがあり、表面の水と下の水が常に入れ替わっていること。川の水の流れは実は、川幅よりもずっとずっと広いこと。
人が森の遊歩道に作った一本の小さな橋が、水の流れを変えてしまい、その先に続くはずだった水の流れから取り残された木達が、茶色く枯れていること…を示したり、してくれる。
最近のDNAの研究でわかった、親子関係にある木で、バクテリアや菌が親の木から子供の木へ優先的に引き継がれていること。
もし菌やバクテリアを見ることができるのなら、それらの網のような繋がりが、山の上から海まで、ずっと一続きに続いているだろうということ。
屋久島の歴史。
江戸時代からの、伐採と森林保護のせめぎ合い。戦後、屋久島の森を守るために取った手段が「世界自然遺産」登録だったこと。
また、感動を分けてくれた。
山や森で、足の裏で土や木の葉を踏む感触が気持ちいいから、と足袋を貸してくれた。立ち枯れたシダの茎を切ってお箸にして、竹の皮に包まれたお弁当を食べる嬉しさ。 シダ箸は、まるで漆塗箸のようで美しかった。
いままででは、自分の時間に対しての尺度というか視野というかは、自分が生まれてからの50年。実感を伴って想像できるのは、祖母たちが子供の頃の話までがやっと。この100年ちょっとが、私の実感できる時間の限界。
過去の時間的視野が100年だと、未来に向かっての私の視野も、100年くらいがせいぜいな気がする。
それが、5億年前から今までが視野になる。一気に視点が引き上がったこと。
リアルにその時間を感じられたこと。
北海道に行ったとして、この視野を持てたかどうか。
望外の体験を得られた1日でした。
そして、屋久島を出て翌日の福岡で、おまけのような体験をしたのでした。
なのでこの屋久島日記、あと一回だけ続きます。