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我が青春のアタゴオル そしてコスモス楽園記
猫も人もみんな……
「あらゆる透明な幽霊の複合体」……
私にとって最初のますむらひろしとの出会いは実のところ、劇場版アニメ『銀河鉄道の夜』でした。私はこのアニメをほとんど心酔しているレヴェルで愛しており、当然ながら録画されたビデオを、長じてはDVDを何度も視聴しました。余談ですが、テレビ放送版は化石とアルビレオ、アニメオリジナルの盲目の無線技士のシーンが省かれており、DVD版で見た時、驚くとともにまるで新しい贈り物をもらったような気分になりました。
んで、それから確かスコラ版の『アタゴオル』に出会い、「あの時の猫だ」と気づいたのです。
画集や総集編などまでは全て追えてはいませんが、マンガ作品はほぼ全てを読めていると思います。彼のデビュー作は、『アタゴオル』シリーズからは想像もつかないもので、端的に言うと猫が人間に復讐を計画する話(「霧にむせぶ夜」)です。
どこで読んだか失念しましたが、当時水俣病の病状の実験として猫にメチル水銀化合物を含んだ魚を食わせたことがありました。そして病状を発した猫の映像を見たますむら先生は、人間が猫にこんなことをしていいのかと憤怒にかられたそうです(私も完全に同感です)。このデビュー作は、まさにその怒りがストレートに出たものだったのでしょう。ラストの一ページには尋常でないものを感じた覚えがあります。余談ですけど先生の作品は最後の一ページが必ず1コマだけなのですが、この時から既にそうなのだとこれを書きながら気づき、驚いています。
その後の先生の作品にはそこまでストレートな怒りを噴出させた作品はありませんが(ヨネザアド物語には暴力的なものを感じますけど)、『アタゴオル』シリーズとは別に、現代への批判や批評を含んだダークでグロテスクな作品もあって、例えば『アンダルシア姫』や『円棺惑星』などがあります。『円棺惑星』は富める者の傲慢に対し手ひどいしっぺ返しを食らわすかなり先生の黒い部分が出た本でとても面白いです。この本は連作短編集で、タイトル作も好きですが、「TREE・TREE」などは、一般にエコロジー方面だと思われがちな先生が、俗流エコロジーなるものが所詮は都市部に住むブルジョアの金儲けの手段に過ぎないことを描いていてラストシーンの自然を騙る者の末路などは正に爽快といってよい作品です。
私としてはそういった批評的な方面で一番良かったと思うのは『コスモス楽園記』で、現実世界において人間の社会と隔絶した場所に猫の社会が存在するという設定によって、より人間社会の愚かしさや醜さを照返すことができています。この『コスモス楽園記』は猫の社会が何故現実に存在するかの謎解きもあって、SFとしても滅茶苦茶面白いので大好きです。ハイファンタジーな『アタゴオル』シリーズと比べてどっちが、という話ではないのですが、あっちは様々な不思議な現象が「それはそういうもの」という前提で読むのに対し、『コスモス楽園記』はその理由を探索するのがSF好きにはたまらないと思っています。
先生のお仕事はたくさんありますが、その太い幹となるものはいまさら言うまでもなく『アタゴオル』シリーズでしょう。二本足で歩く猫と人間のファンタジー世界における日常と冒険のお話です。『アタゴオル物語』から始まり『アタゴオル玉手箱』や『アタゴオルは猫の森』などその作品は多岐に渡ります。
普段の楽しい話やとぼけた話も無論大好きなのですが、私にとって特に印象深いのは夢の中のような起承転結のない話です(そういえば先生は夢の絵日記みたいな作品も描いています)。そこには常に潜水服の男、そして水のイメージがつきまといます。たまに描かれる不思議としかいいようのない回を、私はどんなにか読み返したことでしょうか。各シリーズにおいて本当に一話か二話あるような大切な玉のような作品だと個人的には感じています。
そしてもう一つは主人公猫のヒデヨシの爆発的な生の熱量が感じられる話です。自律神経をやっちゃった私がそれでも生を手放そうとはまったく思わなかったのは常にヒデヨシが私の心のどこかでニヤついていたためである可能性もないことはないと思います。
先生のお仕事のもう一つ大きいものは、宮澤賢治の作品のマンガ化でしょう。劇場版アニメ『銀河鉄道の夜』から宮澤賢治を知った私は十代の内に全集を(詩を除いて)完読しました。賢治について話し出すと終わらないので一つだけ、必要にかられまた趣味として文章を書く練習を始めた時、改めて賢治の作品を読み返しました。その時、誰でも練習すればある程度は書けるようにはなる。けれども絶対に飛び越せない才能の壁はあるのかもしれないと賢治の文章を見て思いました。それゆえに彼の作品の技巧的に優れ音楽的とも言える美しい文章と、そこに内包された眩しいまでの気高さをマンガとして表出させられるかどうか、非常に難しい仕事だと思いました。ただ情景を絵にして、それで何が伝わるでしょうか。絵自体が賢治の文章のように美しくある必要が絶対にあるのです。そういう意味で、ミキハウスの本から出ているシリーズ、そして『しんぶん赤旗』で連載していたリブート版のマンガ版『銀河鉄道の夜』は、十二分に賢治の魅力を伝えうる絵になっていると思います。このリブート版の『銀河鉄道の夜』は読んでいると眩しくて胸が一杯になり、どうしても未だ二巻から先の封を開けられないでいます。振り向いて手を伸ばせばすぐ届く場所に置いてあるというのに。
先生の紙の本などは中々手に入りづらいものもあります(うさぎやペンギンの奴なんか特にそうですかね)が、幸い電子書籍になっているものも多く、手軽に読めるような時代になったことに感謝しています。学生時代は古本屋や大きい書店を駆けずり回って集めたものです。そして一度火事で全てを失った後、細々と買い直していたのでなおさらです(だから今はとても中途半端な揃え具合です)。しかし本当なら紙の本をまた並べたい……悩ましいですね。
もし、これを読んで興味を持たれた方がいるなら、最初はアタゴオルシリーズをお勧めします。貴方は確実にハイになるし、だことマグロを食べたくなるでしょう。それでいいのです。
以上です。