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ドロップアウターは兼業主夫の夢を見るか?
たったひとつのさえたやりかた
全国のドロップアウターの皆さん、こんにちは。
ドロップアウターとはドロップアウトにerをつけて名詞化した造語です。そしてドロップアウトとは組織や社会から脱落することを意味します。
してみると、ドロップアウターとは脱落者を意味するでしょう。しかしただa dropout で脱落者なので er は余計であると言えます。つまり、ドロップアウターはなにやらくどい感じの和製英語(?)ということになります。
兼業主夫とは何か。どうも公的機関が出してる定義は調べた限りなさそうなので、世間に流布するイメージとしては、(しばしばフルタイムでない)仕事をしつつ家事育児を主として従事している人、といった具合でしょうか。
さて、タイトルの質問に答えるなら、見ます。ええ。
ドロップアウターがドロップアウターになるには様々な理由があると思いますが、私はお決まりのコース「自律神経やっちまいました」コースでドロップアウティングしました。
お金を稼ぐ手段はあったのでそのまま無職でゲームセットにはならなかったのですが、フルタイムへの再就職はかなり難しい上に、私の「自律神経やっちゃったぜ」コースは寛解に結構時間がかかりました。
そういう訳で私は兼業主夫の夢を見ることにしました。それこそが当時私のできるたったひとつの冴えたやり方だったのです。
兼業主夫はさだめ、さだめは家事
兼業主夫は主夫でありますから、家事育児を主担当としてその全行程の立案から準備、実行、お片付けを視野に入れなけばなりません。特に育児において主担当になるとは、例えば保育園や学校側との手続きや日常のやりとり打合せなどを配偶者の代行でなしに、自らの責任下で行うということになります。大変かといえば大変ですが、楽しいといえば楽しい。
学校のなんとか説明会とかに出席すると、男性はほぼ私だけか、祖父の方らしき男性がもうお一人いるくらいで、なかなか同業者に会わないのがこの仕事の特徴ではあります。
育児のお仕事は多岐に渡りますが、学校に提出する書類を書いたり、はたまた医療関係(歯医者に行けとか眼医者に行けとか健康診断のあと学校から指示がありますよね)で病院についれていき、所定の手続きを終えるなどです。たとえ名前は「母子」健康手帳でも予防接種で必要な場合は主夫たる私が携帯して病院に行くのです。
とはいえ、何から何まで一人で背負いこむことはできません。なんとなく配偶者(現代的な表現)にお任せしている部分もあります。特に家事関係はそれまでやってもらっていた部分が多く、私に至らない部分が少なからずあります。例えば、掃除関係は主に私がやりますが、やはり食事に関しては配偶者(政治的に正しい表現)がメインで、私はメインがいない場合のサブとなっています。配偶者の方が作れる食事の種類は豊富であり、手際も良いというのもありますが、台所が配偶者のなわばりという意識がどこか私にあるのかもしれません。ま、最初は出来合いのものを買ってくるか、独身時代にもっぱら作っていたカレーだけだったのが、レシピサイトや動画サイトで料理動画を拝見するなどして段々に作れるものが増えていきました。これは私のいっちまった自律神経が還って来るのとあるいは軌を一にしていたのかも知れません。
兼業主夫の長い午後
私の稼得手段は些か特殊なので詳細には説明ができないのですが、上記のとおり、家事はともかく育児の方をメインで担当できるということは、時間にかなり都合がつくということであります。ですから時には長い午後を過ごさなければならない日もあります。
小人閑居して不善を為すという言葉がありますが、私はまさに小人そのもの。閑居すると不善を為しちまうのですが、今こうして書き物をしているのもその内の一つかもしれません。しかしながらドロップアウターはドロップアウターなりになにかしらやった方がいいのは、医師なども進めていることですから、戻ってきた自律神経と一緒に何かしらできることを見つけるのが健康のためでもあります。とはいえ繰り返しますが私は小人なので、気が付くと「フォールアウト4」を起動してマサチューセッツ州を旅していたりもします。ここだけの話、自律神経が一番ぶっ壊れていた時期、事実上私の仕事は「スカイリム」と「フォールアウト4」をやることだったことがあります。これも配偶者(中立的な表現)の理解あってのもので、私はその点で非常に幸運だったと言えましょう。
読書はどうかというと、家にいると余り読めませんでした。病院等に通うための電車の乗車時間や待合での待機時間などが絶好の読書時間で、あとは敢えて早めに家を出て喫茶店などで読書時間を作るのが有効でした。本はなにしろカードを作りさえすれば、本がただで読めちまう施設、即ち図書館がありますから、適当にその時その時に関心のあるジャンルの本を借りればいいのです。
接続された無職
残念ながら私は未だ世間的には病める者の一人です。しかし、生活は「タイム」を許しません。ドロップアウターだからといって様々な社会的な責任までは免責してくれないのです。正直、病める者の税金ぐらいもう少し面倒みろと言いたい気持ちがありますが、致し方ありません。ともかくも兼業主夫としてできることを少しずつ増やしていく、これが肝要であろうと思います。試みにとある公的施設で児童に関わるボランティア活動に参加してみたのですが、これが結構楽しいのです。病を良くも悪くもしませんが、しかし世間で役に立つ何かをするのは、ただ時間を潰すために金を使うよりも、何かやった後の気の持ちようが軽くなる感じは確かにあるようなのです。
私はここまで書いたことを参考にして欲しいとか共感して欲しいとかは全然思いませんが、ドロップアウターは兼業主夫の夢を見るということだけ覚えて行ってくだされば結構です。
最後に告白します。こんなタイトルにしておきながらディックの作品の中で「電気羊」を私は未だ読んでおりません。すいません許して下さい。なんでもしますから。