資本主義のオルタナティブは共産主義だけなのか?
ソ連の歴史から考えてみる
始めに二つお断りしなくてはいけないのですが、まず第一に資本主義のオルタナティブとして共産主義以外のものを、私は提示できません。
もう一つは、お恥ずかしながら私は『資本論』を読んでいません。それ関係で読んだことがあるのは『共産党宣言』と、レーニンの『帝国主義論』くらいで、もちろん内容はほとんど覚えていません。
では何が言いたいのかというと、最近比較的若手の一部インテリから資本主義のオルタナティブとしてマルクス主義を復権すべしというような論調が大っぴらに論じられていることがあるということに驚きと恐れを抱いているということになります。
上述したとおり、私は共産主義の理論については基礎的な学びも得ていませんから、共産主義の本家本元といえるソビエト連邦の歴史から見てみたいと思います。そのための本がこちら、下斗米伸夫博士の『ソビエト連邦史1971-1991』講談社学術文庫出版であります。
実のところ、ソ連の通史として一冊にまとめられたものを読むのも初めてで、というのも私のこれまでの読書歴からすると、ソ連とはナチスドイツのライバルとして、満州の蹂躙者として、そして冷戦期アメリカのライバルとして、その都度現れる存在でした。
この本は、スターリン時代の外相として著名なモロトフを補助線に、ソ連という国家の中で共産党という党がいかに人民を支配し、「国家を解体する」と言いながら強力な国家を作っていったか、そして崩壊していったかを説明しています。興味深いのはボリシェビキの構成員たちのバックグラウンドに触れているところで、意外にもロシア正教の異端である「古儀式派」の力がロシア革命において相当に影響があった、あるいはそれなくしては労働者の人口がたった2パーセントしかなかったロシアで何故革命が成功したかが説明できないのではないかという新解釈がとても面白いです。
共産主義国家を眺めていて特徴的に感じるのは、共産党という党が国家とイコールに見えるところです。民主主義国家においては、選挙によって政権交代が起こります。なんとか党からなんとか党へ政権が移っても、それで国家それ自体が変化するわけではありません。しかし、共産主義国家では、共産党が倒れれば国家が倒れ、国家が倒れる時共産党も力を失うのです。
そのことを示す一番わかりやすい例を二つあげるなら、党の書記長が国家元首とイコールであること、そして赤軍や人民解放軍などの実質的な国軍が名目上党の私兵であることです。中々私たちには想像しずらい社会体制です。どうにも一党独裁という言葉すら実態と合っていないのではないかと思えてきます。
いずれにせよ、ソ連の歴史について、ここに書いても長くなって仕方ありませんから、私の感想を述べていきたいと思います。
共産主義がソ連にもたらしたもの(の一つ)
まず、終章の一節を引用しましょう。
公式に「法的根拠なく」処刑されたのが1150万人だそうです。ちなみに日本の同時期(1917-1991)の死刑執行数は統計によれば1258人だそうです。日本で法的根拠なく処刑された人が何人いるのかは知りませんが、何万人という桁でないことは確かだと思います。
それにしてもソ連が74年続いて1150万人を処断ですから、平均して一年に約15.5万人が違法かつ恣意的に殺されていたわけです。
天皇制について書いた記事で、作家のAさんを出しましたが、彼に言わせれば日本という国は世界でも最低最悪な国になるそうで、Aさん以外のいわゆる左派の言論人もそんなようなことをよくおっしゃられる気がします。まあ、いいです。こんな数字を出したくらいで考えが変わるとは最初から期待していません。死刑は最大の人権侵害だという人が一方で共産主義体制を賛美する矛盾などにいまさら驚きもしませんし、いちいち指摘するだけ無駄だということも知っています。日本軍国主義がアジアで仕掛けた虐殺は他国に及ぼしたもので許しがたいが、ソ連のそれは自国民に対して行ったものだから他国がとやかく言うことではないのかも知れません。まあ、それでもいいでしょう。それを飲み込めなくもないです。
私は次に引用したいのは、この部分です。
教えてください。日本でいえば中学生の頭蓋に銃弾を叩きこまなければ守れない体制というのは、本当に守るべきものなのでしょうか?
教えてください。年間15万人もの人間を平時においてすら違法に処断する必要がある体制は、私たちにとって必要なものなのでしょうか?
資本主義は確かに100点満点どころか50点も怪しくなってきましたが、0点の回答が既に出ている答案をその代替案に持ってくる意味が私にはわかりません。どんな理論を振りかざされようとも、実際やってみたら駄目だったということをどうやったら理解してもらえるのか途方に暮れる思いです。
私からインテリの方々へお願いしたいのは、共産主義に代わる、資本主義に対するオルタナティブを考えて欲しいということです。歴史として共産主義というものがあった/ある、ということを研究するのは大いに結構です。
しかし、現行の国家体制や経済制度の代替案としては・・・増してお手本として考えるのは、もういい加減辞めた方がいいのではないでしょうか。
以上です。