夏至直前。偽りの自分を辞め本音で生きる

もうすぐ夏至。
6月に入ってから、今までとは全く違う空気感に変わりました。

もう嘘がつけない。つこうとすると抵抗が出る。
嘘を一つつくと「何かになりきった」自分が生まれる。別のキャラクターを演じれば誰かが私のことをその「キャラクター」として見るようになる。
噓をついて演じるキャラクターは噓だらけの物語の世界で生きて行くことになる。

私は6月からそれを全て辞めました。
意識的に辞めたというか、もう身体自体がそうなってしまったという感じです。

実は4月末までで仕事を辞め、それから5月中は今後の計画を立てようとしていました。その時もうすでに、自分の頭の中に「会社員」という文字は消えました。

一人一人、人生をかけて目指す「ゴール」があると思います。
その「ゴール」に辿り着くまでにいくらか寄り道をすることになるかもしれません。
その寄り道は無駄ではなく、「ゴール」まで辿り着くのに必要なクエストであったことに気が付きます。
私の中では、一般的な「会社員」というものはその「ゴール」に辿り着くまでの道のりであり必要なものだったと思っています。

偽った自分のまま、社会に無理矢理自分を合わせるとさらに嘘をつくことになる。

噓をつき続け、偽りの社会に嫌気が差して文句を言う。

これじゃ被害者意識は治らないはずです。
というか、偽った世界を作っていたのは社会ではなく自分だったんですね。

自分は自分のままでいい。自分という器に誰かのパーツをくっつけてしまえば、それは自分ではなくなる。
真の自分で生きれば真の世界で生きるようになる。

先週まではもう一度、社会の一員として重い腰を上げてよし働こうといざ立とうとしたら、そのままずっこけました。
立とうとしても立てなかったんです。

この世界には色々なルートがあるんですが、今年に入ってから、真よりちょっとずれたルートに行こうとすると身体が抵抗するようになりました。
もうその道一本で行けと言われているようなものです。
結局、真のルート以外行き止まりになるということなのかもしれません。

春分・夏至・秋分・冬至
この4つの時期が来ると、自分自身の軸がずれていないか、ってチェックが入る感じがします。
ずれていればその都度修正していく。チェックポイントみたいな感じだと思っています。

今改めて、「仕事」って何だろうと思っています。
自分のためにやっていたことがいつしか他人のためになっている。
そんな世界が自然にできていったら嬉しい。

仕事というと、AI問題とか出てきましたが、全ては変化のために起きている必要不可欠のことなんだなと思うようになりました。
ポジティブとネガティブは表裏一体。どちらかが欠ければ変化できない。
変化の無いルートは行き止まりになり、真のルートが閉ざされる。

最近、子どもの頃に楽しかった経験を思い出すと、だいたいは自分がこれをやりたいなというイメージした「仕事」に当てはまっている、ということも気付きました。
「子どもの頃の自分」は大きな鍵を握っていた。


私の真の「仕事」は、この世界を遊ぶことかもしれない。
そう思う夏至直前。

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