そこに愛はあるんか?
マガジンに加入しているレオンさんの記事より企画に参加させていただきます。
内容は⏬
より具体的な記事はこちら⏬
その前にまず、愛とは何か?調べてみました。
【愛】自体はただそこに存在するもの
37年生きてきて、親子関係(親と自分)やら友人関係やらネットの人付き合いやら会社やら、夫婦関係、親子関係(自分と娘)色んな人と生きてれば【関係性】って言うのができてくるけど……。
個人的な【愛】に対する答えは、“ただそこにあるもの”
目に見えない、触れられない、でも確かにそこにあると感じることが出来るもの。
空気や風みたいなもんかな。
そよ風に気付く人は気付くし、北風の寒は時に厳しく感じるものでもあるし、だけど無いと人って生きていけない。
そういう厄介なものが、“愛”なんだと思う。
そもそも愛ってなんですか?
とは言っても、【愛】に行動や何らかの付加価値的な感情が伴う場合は別よね。
今回テーマとしては
四大要素(配慮、尊重、責任、理解)の4つを挙げてますが…。
愛“する”事は上記の4つが必要だと思う。
でも、じゃ逆は?
愛って相互に発生するものだから、
愛“される”ことにもこの4つは伴う?
親子の場合、子どもに“愛される責任”があるのだとしたらおかしくない?
正直な話、親はこの4つは必要よ?
自分が欲しくて作って産んだんだから、この4つは伴って然るべきだよね。
けど、それを子どもに押し付けるのはおかしな話になるわけで。
そう思うと親子愛に関してはこの4つは不成立ってことになる。
友人の場合は微妙よね。
片思いの友情ってあるじゃん?
自分にとっては親友だと思ってても実は相手から見たら知り合い程度でしたー的なやつ。
あぁいう片想いな友愛にどこまで例の四代要素が関わってくるのかといえば、それは結局相手と自分の感情の比率だと思うのね。
“愛してる”側が色々と背負うものは多いと思う。
恋人関係も夫婦関係もそう。
とは言っても夫婦関係は【法的な契約】を結んでるから愛情以前の問題でもあるんだけど。
となるとやっぱり愛情に関しては“ただそこにあるもの”って認識で良くないかなぁっていう結論になってしまう(笑)
だーって、こちとら“愛してくださーい”ってお願いしてないもん(笑)
性格悪いけど、愛することを決めて実行したのはアナタよね???って話。
そこに相互の感情を乗せ合うから揉めるんだってばYO!!
愛する喜び、愛されるしあわせ
どちらも経験してきたからこそ思う。
ただ【相手のために何かする】ことに喜びやしあわせを感じたなら、それってとても素敵なことだよねぇ。
“相手を思うからこそ”と言う呪縛
道に咲いてる花を摘んで持ち帰りたいと思うのは“好き”
そのまま枯れないように見守るのが“愛”
って言うのがひとつの答えなんだけど、そこに“相手を思うからこそ”と言う枕詞を付けてくる相手がいる。
こういう人からの愛情には気を付けないといけないなって感じてる。
この言葉を言う人は、【支配したい】って思ってるから。
これは経験上ほとんどの人がそうだったから本当に気を付けないと💦
それこそさぁ?
こっちの意見を尊重してくれるなら応援してくれよぉぉ
ってなりません?
人の人生に責任取れないなら外野は黙ってろ(口が悪いぞ!気をつけます💦)
でね、そういう側面で見ると愛っていうのは
“いかに相手の求める答えを与えるか”ってことにも繋がるのかなぁ?
ただそれも、愛情のひとつの考え方になるから答えってそれぞれだと思う。
共依存も双方が合意してれば“愛”だしねっ❤︎
【まとめ】
結局のところ、愛はただそこに存在していて、それを信じるか信じないか、同行するかはその人次第。
ある意味宗教的な、神様的な要素があるのかも知れないなーというのが感想です。
これもまた、愛として受け取るかどうかは結局受け取り手の問題。
そこに書き手は関与しようがない。
以上がわたしの“愛”に対する考えであり答えでした!
また何か気が変わったり他の考えも浮かんだら記事にしようと思います。
最後までお付き合いくださった方、ありがとうございましたっ!