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山の歩き方をおしえようと思ったのか。

はじめまして、入笠高原の小さな山小屋『ヒュッテ入笠』の山口です。2014年4月から『マナスル山荘本館』を経営することになり、昨年『ヒュッテ入笠』改名。居心地のよい山小屋をテーマにあれこれ商品や料理をご提供し、おかげさまで10周年を迎えることができました。

「山の歩き方を教えます」が私のテーマ。その前に私の40年以上の登山経歴を簡単にお話ししようと思います。

登山を始めたのが高校のワンゲル部入部から。丹沢や奥多摩の登山道はそのころにほとんど歩き、沢登りにものめりこむ。冬の八ケ岳も当時の夏山中心の拙い装備で登ったりしていました。北アルプスや八ヶ岳に何度も通い、山の本を乱読していたのもこのころです。

大学生になるころは8,000m峰や海外遠征に憧れましたが、夏休みに北アルプス・針ノ木小屋にアルバイトに行ってからは山小屋での仕事に夢中になりました。山小屋ですから歩荷や登山道修理のために石や土を背負子で運ぶのは日常茶飯事。歩荷も他のスタッフよりたくさん運ぶことが偉さみたいな勘違いをしている時期もありましたね。しばらくしてから自分の興味が山のピークに立つことから、山小屋での接客やサービスに向き始めました。「北アルプス・槍ヶ岳山荘の支配人時代には愛読書が山の本ではなくホテル関係の業界紙やビジネス書でしたから。

「山岳救助」「山岳ガイド」の経験もしました。下界での仕事中に遭難の一報が入ると山装備をもって警察署に行き、県警救助隊員と一緒に現場に向かうこともしばしば。当時はヘリの技術も今ほど高くなく、現遺体やけが人をヘリが近づける尾根の上などに背負いあげるのが現場の仕事でした。

このように40年以上山で生活してきましたから、「山歩きはさぞ得意でしょ」と思われがちですが、山の歩き方(歩行動作として)を正しく理解できたのは10年前くらいです。20代はがむしゃらに力任せに歩いていたので足を攣ることもしょっちゅうありました。30代~40代は山の歩きというものが経験から身についてきて、20代よりも速く楽に歩けるようになってきます。表銀座ガイドの下見で中房温泉から槍ヶ岳日帰り往復12時間なんてことも普通にやってました。

では、歩きというものを客観的に理論的に身に着けたのはいつごろかというと、40代で一度山から下り妻の実家のスポーツ店を経営することになったころから。スポーツ店ってけっこう雑なシューズ販売をします。多少サイズが違っても「よく合ってますね」と言ってお客様に買わせてしまう。いまでもこんな店は結構あると思います。MやAといった日本の大手スポーツブランドの営業担当者も「多少サイズ違っても売っちゃえばいいんですよ」なんて言ってましたから。

経営的に傾いていたスポーツ店を立て直すために選んだのは(特にランナー、陸上競技者、高校野球部員向けに)正しいシューズ販売です。足を測定し、目的に合ったシューズを選び、正しい履き方を教え、走り方や歩き方、体の使い方を店で教える。今ではけっこう当たり前な手法も、15年以上前の当時はそんなことをやっている店はほとんどありませんでした。しかしこれにはM社やA社は大反対。それは売る商品がメーカーの思い通りにならないからです。

私が正しいシューズを売るという方向に経営のかじ取りをしたかというとこの本に出合ったからです。

スポーツの動きを人間本来の動きと結び付け指導していく各本面の指導者のみなさんのお話にはとても引き込まれました。著者のみなさんのセミナーや講習会に出かけ自分の思考や表現をまとめ、それをショップでお客様に伝えて納得してシューズを購入してもらう。ショップで開催する練習会で実際に走ってもらう。この施策は結構うまくいっていたと思っています。現在はこの本の著者の一人である木寺英史氏の「なみあし身体研究所」の指導者養成コースで勉強しています。

いま山小屋経営をしていますが、登山者の足元を見ると歩き方がちょっとおかしい登山者が多いことに気づきます。歩行ができていない登山者。歩き方や間違ったシューズ選びや正しくない履き方が山での「転倒・転落」の根本的な事故原因になっているのではと考えています。用具は立派で高価なものを身に着けていますが歩きがおかしい。ということで「山の歩き方をお教えます」を始めることにしました。

山のメディアなどでは決して言わない正しい体の使い方。これから発信していきますのでよろしくお願いいたします。






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