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「終焉のヤン」 第一話

 「明晰夢」

非常にまずい。
明晰夢から覚めることができなくなり、かれこれ2年が経ってしまった。

明晰夢というのは、夢の中でありながら現実世界と同じように自分の意識通りに動けたり、匂いや味などを五感で感じることもできるという、超リアルな夢のことだ。

もともとオカルトや不思議系なものが好きだった僕は、「明晰夢の見方」なる動画をNewTubeで見て試したりしていたのだが、ある日明晰夢を見ることに成功したのをきっかけにちょくちょく夢の世界に入り込み、そこでの生活を楽しむようになっていた。

そして面白いことに、明晰夢の世界に入ると毎回同じ国の、同じ人物としての生活を体験することができた。
夢の世界にもちゃんと家族がいて、その家族との記憶さえうっすらと思い出せるのには驚いた。夢の中での時間の進み方も現実世界とほぼ同じで、夢を見るごとにその記憶も更新され、夢に入れなかった間の記憶なども補完される。なんて便利なんだろう。

さて、この夢の世界での僕の名はシモンと言い、父はプラハ市の事業家で、また市の評議員だった。
過去形なのは、2年前に政変があって評議員が全員クビになり、プラハに居られなくなったからである。
言い忘れていたが、この世界はまさに中世ヨーロッパ!という感じのところで、「ボヘミア王国首都プラハ」というのが僕の暮らす土地の名前だった。

父が職を失った背景には、ボヘミア王国の宗教事情が絡んでいる。

このボヘミア王国には数年前から新興宗教が起こり、国内各地で勢力を増していた。その教義は既存のカトリックの教えとほぼ変わらないのだが、そのカトリック教団には汚職や搾取がまかり通っており、それに「ノー」の声を高らかに突きつけたのが新興宗教の「フス教」であった。

教祖のフスさんはカトリック教団から危険視されて宗教裁判にかけられ、焚刑により既に亡くなっている。
しかし教祖の死後も信徒団は有力貴族や王族からの庇護をうけて勢力を増し、ついには国の政治に影響を与えるまでの力を持つようになったのだ。

その結果プラハではフス教勢力が政権を握り、カトリック教徒だった我が父上は評議員の職を奪われてしまった。そして我がバルボジーナ家も、一家もろともプラハを追われる事になったのだった。

そんなわけで僕はこの新興宗教団体をあまり好きにはなれないのだが、しかし悔しいことにこのフス教の人気はすさまじく、王族・貴族はもちろん、裕福な市民から貧しい農民までの幅広い層の人々がこの宗教を支持している。世はまさにフス教団の天下という感じだ。

カトリックの司祭や権力者たちのこれまでの偉そうな振る舞いを見れば、それに反旗を翻したくなる気持ちも分からないでもない。
彼らは何かにつけて市民から金品を巻き上げようとするし、拒否すれば「地獄に堕ちるぞ」と脅すし、下手をすると教会からの破門すらチラつかせてくるから従わざるを得ない。
この世界では、教会に属さないというのは人権を剥奪されるに等しく、ほぼ生きていけなくなるのだ。

プラハ市の権力機構の構成員である我が父君もそれに倣い、聖職者たちと一緒に腐敗と贅沢と横暴に満ちた生活を送っていた。僕は息子とは言え、そんな父の生き方には嫌悪感しか持たなかった。なので、父が評議員をクビになった時は「ざまあみろ」と思ってしまった程である。もちろん、大多数のプラハ市民もそう思っていたであろうし、それゆえにプラハには我が家の居場所はなくなったのである。

そんな政変が起きたのが2年前で、我が家はプラハから地方に疎開しなければならなくなった。
さいわい、プラハから南西50kmにあるピルゼンという大きな都市.......の郊外に父の事業の支社があったので、そこを第二の住処とすることにした。

しかしその引越しの道中を野盗に襲われ、僕は頭に傷を負った。


ピルゼン郊外を巡回中だった「ピルゼン領平和維持軍(ラントフリード)」の救援で一家は助かったものの、僕は数日間昏倒し、それ以来、明晰夢から覚めることができなくなってしまったのだった。

以上がこれまでの顛末となる。

あれから2年。
日本に帰りたいという思いもあるが、もはやボヘミアの生活に慣れてしまっている自分がいる。
疎開先での生活も安定してきたし、仕事にやりがいも出てきた。

明晰夢から抜け出せなくなってしばらくは焦りと絶望に支配された日々を過ごしていたけれど、いつしか気持ちも収まり、とりあえず今の環境下で自分らしく精一杯生きよう、と思うようになっていった。


そして今、僕の目の前には何故かフス教の貴族からの「決闘状」が届いており、それによると「決闘に応じない場合は裁判にかけた後斬首」と書いてある。

どうしてこうなった。
せっかくこの世界で精一杯生きようと決めた矢先なのに、これはまずい。非常にまずい。

ああ、夢の中とは言え、殺されるのはやっぱり痛いんだろうなぁ.......。


そんな僕の思いをよそに、ボヘミアの風は4月の淡い蒼空へ、爽やかに吹き抜けて行くのだった。

青年シモンの栗色の髪がなびく。

(第一話 了)

第二話

https://note.com/husupedia1424/n/n028b671f4d74

おまけコーナー

人物紹介①「ヤン・フス」(1360頃-1415)

1400年代に、主にプラハ大学などで活躍した説教師。
フシネツ村出身のヤン、という意味の名前です。

ボヘミアには「ヤン」という名が溢れており、この物語の元となるフス戦争に登場する「ヤン」の人数は、ざっと数えただけでも50人近くにのぼるんですよ。

さてこのヤン・フスは聖書をよく学び、プラハ大学の学長まで務めた優秀な人物でした。
そして現状のカトリック教団は聖書の教えから逸脱していると指摘するようになり、教会や聖職者に対して改革を強く訴えます。
また、神の言葉は特権階級が独占すべきではないとし、当時庶民には理解できなかったラテン語で書かれた聖書の言葉をチェコ語に訳して説いたため、民衆に大いに喜ばれました。

貴族社会においても、貴族の既得権益がカトリックの司祭らに侵犯されており、それを排除する目的でヤン・フスの活動を支持する貴族が多数いました。

しかしカトリック教団から危険視されたヤン・フスは1415年に異端審問にかけられ、焚刑(火あぶり)に処されてしまいます。
その処刑について、ボヘミア全土から450人の貴族が集まって連名で抗議文を作成し、それをローマ皇帝に送り付けたという逸話も残っています。(抗議文も現存しています)

フスの死後、支持者たちの間ではフスの後継をめぐって派閥抗争が起きていました。

あくまで平和的な改革を求める穏健派と、武力革命を起すべきだという急進派とに大きく分かれており、その対立が戦争へと発展し、後世に「フス戦争」と呼ばれる大乱となるのでした。

それをヤン・フスが知ったら、さぞ悲しむことでしょう。フス自身は博愛と平等と平和を求める人物であったのですから。









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