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「終焉のヤン」第六話

「日本人」

パビアンコフ邸某所。

座敷牢と言うのが相応しいような、部屋の半分を檻で囲った薄暗い場所にシモンは座らされていた。

と言っても檻の内側には椅子とテーブルが用意してあり、質素な燭台と、温めなおしのパン粥が置かれている。

一方、檻の外側には簡素な椅子がひとつと、見張り役の若い女性がひとり。
その女性は腕を組み、不機嫌そうにしながら椅子にもたれている。時々顔だけをこちらに向け、冷たい眼差しで睨みつけてくる。

その視線の意味をシモンは理解していた。
おそらく自分は、この屋敷の女性を襲った暴漢としてここに連行されたのだ。ゆえに犯罪者を見るような、いや、彼女の目には今のシモンは犯罪者そのものとして映っているのだろう。

しかし、それにしてはいろいろおかしい。

檻の中とは言え拘束は解かれているし、寒空で半裸になった身体に、温かいパン粥はとてもありがたい。しかも、しばらく時間が経つが他に誰かが来るという気配はなく、さっきから見張りはずっとあの女性だけである。

(いったいどういう状況だ?普通に考えたら、これから拷問やら何やらで大変な目に遭いそうなのに。
一向になーんも起きない。おまけにパン粥まで出されてるし。うまそうだな。冷めないうちに、食べようかな。)

シモンが粥を見つめながら考えていると、見張りの女性が声を発する。

「なんで誰もこないのよ!こんな変質者と一緒の部屋に二人きりにさせて!」

それは苛立ちと、少しの恐怖を帯びたような声であった。
シモンが粥をたべようとスプーンに手をかけたタイミングであったので、慌てて手をひっこめる。

「あんた!この状況でよくものを食べる気になれるわね!」

彼女の第一声は独り言に似たニュアンスであったが、代二声ははっきりとシモンに向けられていた。

「あっ!ご、ごめんなさい!出されているから、食べても良いのかと思って.......」

「その挙動不審な態度!やっぱりあんたがお嬢様を襲ったのね!この変態!」

一夜のうちに二人の女性から変態と罵られて心傷を負ってしまったシモンであったが、むしろ無言で睨まれ続けるよりは状況がマシになったな、と思った。

「そのことなんですが、えっと、誤解なんです。」

ようやく弁解ができる。そう、この状況から脱するには誤解を解く必要があり、そのためには相手とのコミュニケーションが不可欠だ。

「なーにが誤解よ!聞いたわ。お嬢様の衣服をひん剥いた挙げ句、その服を体液で汚して喜んでいたんですってね!この変質者!もうすぐ屋敷の男たちが来て、ボコボコにされるんだからね!」

誤解や噂というのは恐ろしい。
こんな短時間のうちに、事実とはかけ離れたとんでもない修飾語を身にまとわされているのだから。

そして女性の後半の言葉は、早く誰かに来て欲しいという彼女の願望も込められているようでもあった。

「お、お嬢さんの衣服を汚してしまったのは事実ですが、襲ってなんかはいません!むしろ、僕は自分の上着を差し出して、お嬢さんを助けようとしたんです!それは、お嬢さんが証明してくれますよ!」

シモンは思わず立ち上がり、檻にすがって訴えた。
ひいっ!と、見張りの女性が後ずさる。

「く、来るな!触るな!マグダレナさま!助けてください!わたし、もうダメですぅー!」

女性はシモンへの恐怖を抑えきれなくなり、その場に座り込んで泣き出してしまった。

すると部屋の外からタタタと駆けてくる音が鳴り、

「どうしましたヨハンカ!バルボジーナが逃げたのですか!?」

と、長身の女性が険しい表情で、勢いよく部屋に飛び込んで来た。

それは名を呼ばれたマグダレナその人であった。
パビアンコフ夫人の命を受け、シモンを解放するために部屋に向かっていたところであった。

この状況でシモンに逃げられては困る。
マグダレナは、どの方向へもすぐ動けるようにと重心を低くして構える。

「マグダレナざばぁ!こわがっだでずぅ。わだじ、もういやだぁ」

ヨハンカと呼ばれた見張りの女性がマグダレナに抱きついてきて、涙と鼻水をマグダレナの服にこすりつけて泣く。

マグダレナはヨハンカの頭を撫でつつ、目では檻の中を見据える。
そしてシモンが逃げたのではないと確認すると、自らの緊張を解いて表情をあらため、檻の中のシモンに向き直った。

ふぅっ、と一息ついてから、上品な口調でシモンに語りかける。

「シモン・バルボジーナさんですね。私はこの屋敷の侍従長、マグダレナと申します。
このたびは屋敷の者がいろいろとご無礼なことをいたしました。どうかお許しください。」

マグダレナはシモンよりも少し背が高く、年齢も少し上である。

冤罪で捕縛したこと、座敷牢に閉じ込めたことなど、パビアンコフ側に非があるのは明白であったが、優雅さと余裕を含んだ美しい謝罪の声に、シモンは「あっ、はい」と間抜けな返事をするのみであった。

「ヨハンカ、ご苦労をかけましたね。この方は冤罪で連れてこられたのです。これからお帰りいただくのです。だからもう怖くありませんよ。」

マグダレナはヨハンカにも声をかけている。

シモンは状況の急展開に取り残されて呆気にとられていたが、すぐに気を取り直し、数秒後に状況を理解した。

するといきなり嬉しくなって、

「あ、ありがとうございます!僕の冤罪が晴れたんですね!やっと帰れる!」

とシモンは叫んだ。

思わず、日本語の発音で「ありがとうございます」と言ってしまった。

たまに出るシモンの癖であったが、これまでは相手に怪訝な顔をされることはあっても、深くつっこまれるようなこともなかったので、流してごまかしていた。

しかし、目の前にいるマグダレナの表情は固まっていた。

「ヨハンカ、あとは私に任せて、今日はもう休みなさい」

マグダレナは固い表情のままヨハンカに退室を促し、ヨハンカも部屋を出て行った。

マグダレナの表情の意味を理解できずにオロオロしているシモンに対して、マグダレナは真顔で、低い声で言う。

「……あんた、中身は日本人?」

そのマグダレナが発した言葉は、紛れもない日本語であった。

今度はシモンの表情が消える番だった。

(第六話  了)






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