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「終焉のヤン」 第三話

「パビアンコフ」

1417年のプラハ。ちょうどシモンの一家がプラハを追われた頃に、入れ替わりでプラハにやって来た人物がいた。

富豪パビアンコフ家の令嬢カテジナである。

当時15歳の彼女は、留学のために故郷のピルゼンを離れ、プラハにある親戚宅へとやって来た。
そこで親戚の世話になりつつ、幾人かの家庭教師を雇って神学やラテン語、数学や社交術などを勉強していた。

本当はプラハ大学に行きたいという願望があったのだが、女性の入学は認められるはずもなく、しかし母親のはからいで、花嫁修業を兼ねてのプラハ留学が叶ったのだった。

カテジナの故郷ピルゼンは大都市ではあったが、粗野な職人やゴロツキも多く、全体的には上品な街とは言えなかった。
一方プラハの貴族街.......通称「旧市街」は比較的に治安も良く、貴族や裕福な市民しか住まうことを許されていない地域であったので、上流階級の社交を勉強するには良い条件が揃っていた。

カテジナの母親、アンナ・パビアンコフは娘をプラハで数年学ばせたのち、フス派の貴族に嫁がせることを目論んでいた。
時期的にもプラハではフス教団が実権を握り、フス教徒のパビアンコフ家にとっても、プラハのフス派とのパイプを強化するための好機でもあった。

やがて2年の歳月が流れ、留学生活を満喫していたカテジナにも故郷に帰る日が近づいていた。

1419年3月某日。
この日カテジナは、家庭教師からプラハでの最後の授業を受け終わったところだった。

「さて、今日で最後の授業になりましたね、お嬢様。」

カテジナに優しい口調で語りかけるのは、雇われ家庭教師のヤン・ロキツァナである。

「あーあ。本当に今日で最後なの?ヤン先生のつまんない神学の話も、もう聞けなくなると思うと寂しいわ」

カテジナは気だるげに、そして少しからかうように言う。

「おや、私の講義はそんなにつまらなかったですか?それは失礼しました。次回からはもう少しマシな授業ができるように努力し.......」

「その次回がないって話をしてるの!もう、私の皮肉をちゃんと真に受けてよ!」

「ところでお嬢様。ご婚約、おめでとうございます。ピルゼンにもどられましたら、お母上とネクミージ卿に、ロキツァナがよろしく言っていたとお伝えください。」

カテジナからヤン先生と呼ばれた青年は、富豪令嬢の非難を恭しい辞儀で受け流した。
令嬢カテジナのもとには、『ピルゼンの中級貴族であるネクミージ家との縁談が決まったので早急に帰還せよ』との手紙が故郷から届いていたのである。

「政略結婚のための強制送還!なんで会ったこともない人と結婚しなくちゃいけないのかしらね。どーせ落ちぶれ気味の貴族に恩を売って、あとで母さんの商売に利用するつもりなんだわ!私はその駒にさせられるのよ。あーやだやだ、私、泣く!」

えーん、しくしくしく、と、あからさまな演技でウソ泣きを披露するカテジナに対し、ヤンはやれやれといった表情をするしかなかった。

(ネクミージ卿か。いよいよ彼も急進派に取り込まれるのか?まあ、その逆はあるまいが。どちらにせよ、ピルゼンはいよいよ騒がしくなりそうだな.......。)

ロキツァナは、瞳の奥で政治的な憶測を巡らせていた。ネクミージ卿のことは知らない仲ではない。ピルゼン北部の若い領主で、領地平和維持軍(ラントフリード)の職務も真面目にこなす好青年であった。
近頃、先代が残した借金の抵当で領地のいくつかを失い、財政的に貧窮しているとの噂がある。

(……そこをパビアンコフに目をつけられたのだろうか。しかしパビアンコフはフス派の熱心な支持者で、ネクミージ卿はカトリック教徒だったはず。となれば、ネクミージ卿の改宗もありえるな。この婚姻が決まれば、ピルゼン付近の勢力図が大きく変わ……)

「ちょっと先生!可愛い生徒が泣いてるのに、なんで慰めてくれないんですか!あー!その目は他のことを考えてる目だ!生徒のことよりセージテキな事を考えてる目だ!職務怠慢!クビよ!今日限り貴方はクビよ!」

ウソ泣きカテジナが、ロキツァナに噛み付く。2年間のプラハ滞在で、カテジナが一番心を許したのがこのヤン先生だった。このような悪態をつけるのも、二人の親しい関係性を表している。

カテジナと出会った頃のロキツァナはまだ貧しく、物乞いをしながら大学に通う学生だった。
プラハに来たばかりのカテジナが付き人に沿われて街を散策していると、ちょっとした人だかりを目撃した。
そこにはみすぼらしい格好をした青年が街頭に立ち、道行く人に神の言葉をチェコ語で説いていた。それがカテジナが見たヤン・ロキツァナの最初の姿であった。

青年は、石を投げられていた。

付き人が「見てはなりません」と制してその場をあとにしたが、カテジナは何故かその物乞いの青年が気になり、その後も何度か、彼の街頭演説を見にこっそり出かけて行くのだった。

カテジナは面白いことに気づいた。
何度目かの演説のとき、青年に投げられるのが石だけではなく、銀貨や銅貨も混じるようになっていたのだ。

そしてついに、青年の演説を聞いた群衆の中に、歓喜して拍手を送る者さえ現れはじめた。

これは只者ではない、と、カテジナの慧眼が光る。

カテジナは屋敷に戻り、「あの青年に、ちゃんとした服と仕事を与えたい」と付き人に訴えた。
そしてその願いが屋敷の主にも聞き入れられ、ヤン・ロキツァナはカテジナ・パビアンコフの家庭教師としての仕事を得ることになった。

彼がフス教の司祭候補であったことも、パビアンコフ家の雇用条件に叶っていた。
聖職者であれば、婚姻前の娘に近づけても悪さはするまいとの母親の目論見であったが、どうやら娘のほうは、次第にヤン先生に心を奪われていってしまうのだった。

服や身なりを整えると、ヤン青年はハンサムな男だった。
そもそも、物乞いをしている時から卑屈さは微塵もなく、目には活き活きとした力が宿っており、パビアンコフに拾われた事にもおどおどしてはいなかった。

ピルゼン地域出身の者でパビアンコフ家の名を知らない者はいない。
その名を聞けば大体の人間はへこへことへつらったり、機嫌取りのごますり顔をして近づいてくる。カテジナはそんな自分の生家と、取り巻きの人間たちにに少しうんざりしていた。

ヤンの実家がピルゼン郊外の小さな馬具鍛治だということも、パビアンコフ家によって調査済みであった。ならば当然、ヤンは実家にいくらか仕事を回してほしいとか、馬具を高く買い取ってほしいなどと言ってくるのではないかと、カテジナは少し身構えていた。

しかしヤンにはそのような気配が一切なく、そんなことよりも今日の夕食を少し多めにもらい、物乞いの仲間に分けても良いかといった話ばかりするのだった。自分だけが恵まれることを良しとせず、困っている人と同じ目線でものを考えるヤンの姿に、カテジナは今までにない種類のあたたかな人間性を見て好感を抱いた。

2年も経てば、それは立派な恋心に成長していた。
その間にヤンがフス教団の聖職者になることが正式に決まると、生涯この人の妻にはなれないのだと悟ってカテジナは泣いた。

その涙も乾かぬうちに、ピルゼンのネクミージ卿との婚姻を突然つきつけられたのだ。
カテジナにとっては、ヤンへの思いを断つ良い機会でもあった。だからなおさら、ヤンとの別れのシーンをふざけてみせていた。

「貴族と結婚してお金持ちになったら、先生のことまた雇ってあげる。だから、真面目に勉強して、立派な司祭になるのよ?」

故郷を離れているとは言え、ピルゼン周辺の勢力事情をカテジナが知らない訳はない。ネクミージ家が没落しかけており、それに出資する口実として用意された結婚であることにも気づいている。
ネクミージ家に嫁いでも、金持ちになることはないという事も。

「クビにされたりまた雇われたり、私の人生も忙しいですね。精進しますよ。そのときは、大司教にでもなっておきましょう。お嬢様も、それまでお元気で。」

カテジナはヤンとの別れを済ませ、その後、ヤン以外の家庭教師とは淡白な別れの挨拶をすませ、間もなくプラハを出発した。
「ヤン・ロキツァナ先生と別れた直後から、お嬢様は別人のように固く悲しい表情をされておりました。ピルゼンに着いてからも。」とは、カテジナの付き人の言葉である。


フス教団が手配した護衛の騎士数名に守られながら、カテジナは2年ぶりに故郷のピルゼンに帰ってきた。

市の門をくぐり広場への大通りを進むと、聖堂とともにパビアンコフ家の巨大な屋敷がそびえている。
屋敷の中には、フス教団の急進派と思われる騎士たちが数名たむろしていた。

つんとした匂いが鼻をつく。
プラハで嗅いだ物乞いのそれとは違い、血の固まったような匂いが混じっている。実際、騎士たちの衣服には埃や垢とともに、血をぬぐった跡が散見された。
母がフス教団急進派の騎士たちを呼び寄せ、ときどき屋敷に住まわせているとは聞いていた。まさか、私の結婚相手もこの人たちの中にいるのかと思うと、カテジナは泣きたくなった。

ほどなく屋敷の奥から当主のアンナがやってきて、娘を出迎える。
アンナの傍らには、片目に黒い眼帯をした、白ヒゲの老騎士が立っていた。他の騎士とは気配が明らかに違う。
カテジナはその騎士に軽く目礼をすると、母親に向き合った。

「おかえりなさい、カテジナ。プラハでは良きものを得て来ましたか?」

「ただ今帰りました、お母様。良きものを得ていましたが、こちらへ来る道中と、屋敷の入り口のあたりできれいさっぱり失ってまいりました。」

勝手に婚姻を決められた事に対する、カテジナの抗議である。

「そう、それは残念ね。こちらはフス教団急進派の、ヤン・ジシュカ隊長よ。この際だから言うけど、貴方の父親よ。」

カテジナの渾身の皮肉をかわした挙句、カテジナの人生の土台を崩すようなとんでもない発言を、この母親は言ってのけた。

カテジナは口を空けたまま言葉を失う。

(この女は勝手に結婚相手を決めるどころか、私の出生の秘密を、しかもその本人を私に会わせるとか何を考えているの?でも確かに父さんは私が生まれるより前に亡くなってるし、私ってどうやって生まれたのって聞いたら5年もお腹の中にいたのよって言われて信じてたのに!なるほどこの人が本当のお父さんということなら辻褄が合うわね。)

「そうじゃないでしょ!久しぶりに帰ってきた娘に、他にもっと言う言葉があるでしょ!それにそっちのヒゲの父上さま、はじめまして!そしてさようなら!」

混乱のピークに達したカテジナは、そう叫ぶと屋敷を飛び出して、夕暮れの街へ駆けて行った。


(第三話 了)


おまけコーナー

人物紹介③ ヤン・ジシュカ(1370頃-1424)

「フス戦争」を調べると、必ずこの人の名前が出てきます。それほど重要で有名なこの人も、やはりヤンという名前です。
この物語に出てくるヤンとしては3人目ですね。まだまだたくさんのヤンが出てきますから、混乱しないように気をつけてくださいね。

さて、ヤン・ジシュカについてのエピソードはすごく多く、史実なのか伝説なのか不明なものもたくさんあります。

ヤン・ジシュカはフス戦争で「不敗の名将」と謳われた人物です。その軍備品を用立てしたのは、フス戦争初期にフス派に協力的な姿勢をとっていたピルゼン市だったとの記録があります。
中でも有力富豪のパビアンコフ家は、屋敷を解放してフス派の戦士たちを住まわせたりしていたといいます。

しかし情勢が変わり、ジシュカたちフス教団の戦士たちは、ピルゼンの街から追放されてしまいます。そのとき、戦士たちと共に何名かの市民もピルゼンを追放されました。
その中にアンナ・パビアンコフの名前もあります。
彼女はそのとき未亡人でしたが、子供たちをピルゼンに残し、自分だけジシュカについて行ったようです。
それってまるで、愛人のすることですよねぇ。

















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