北大交響楽団顧問 奥聡先生インタビュー
ー簡単に自己紹介をお願いします。
北大交響楽団顧問の奥聡です。大学ではメディアコミュニケーション研究院の教授をしています。
ー奥先生自身北大オケのご出身ということですが、当時のお話をお聞かせください。
僕は81年に入団して、その年の6月に今のサークル会館に移動しました。バストロンボーンをずっとやっていて、2年生・3年生の時には役員として渉外をやっていました。82年(2年生)の時は道北に、83年(3年生)の時は道東に、84年(4年生)の時は道央に、85年の時は大学院生でしたけれども道南に演奏旅行を行いました。86年の1月に第5回東京演奏会をやったが、一緒に行って昭和女子大の人見記念講堂で演奏しました。今もサークル会館にポスターが貼ってありますよね。シベリウスの2番、チャイコフスキーのピアノ協奏曲、あとは川越先生の曲をやりました。
ー今より色々なところに出向いて演奏していたんですね。
道内の演奏旅行は毎年やっていました。土曜も学校をやっていて、色々な市町村・学校が呼んでくれて泊まりがけで行ったんです。北海道を4つくらいに分けて、道北・道東・道央・道南を1年ごとに回っていき、2,3日の場合から1週間を超える場合も。かなり長い間そういうことが続いた時代でした。
ー新しくサークル会館ができた時はどんな感じでしたか。
それまでは今の環境科学研究所のところに昔の第3サークル会館、2階建ての木造の建物があったんですね。そこには10年ちょっとくらいいたんですけど、そこはいわゆる昔の大学風で24時間いつでも出入りして構わないという感じだった。大学院生とかも夜実験が終わってから来たり、女子学生なんかは朝に始発の電車で来て、授業の前に練習したりと24時間音が絶えないとそういう時代だった。床面積で言えば今のオーケストラが使っている面積とそんなに違わないが、そういった時間的な余裕があったので結構広く練習できた。ホルンの人が足りないので大学院生の先輩お願いします、といったときにじゃあ忙しいからパート練習12時間、とかそういうことは普通にやっていた。で、そのあと飲みに行ったり、あるいはそこで飲んだりとそういうことをやっていた時代ですね。そこから今のサークル会館に移ると時間制限ができた。最初は9時までと言われて、それじゃあ困ると。じゃあ届けを出せば10時までできるようにして、常に届けを出して10時までしていた。本番2週間前は11時まで延長して、それも交渉して。そういう風に今のサークル会館でできるだけ良い練習ができるようにやり始めた時代だった。それから、今弦楽器はゆりかご保育園でパート練習をしていますか?(孫:今コロナに入ってできなくなった)あ、まだ復活していない、それもちょうどそのとき始めたんだと思います。つまり弦分奏をゆりかご保育園でやるというのはちょうど81年の時に始めたんだと思います。
ー川越先生はどんな方でしたか。
それは一言で言うのはなかなか難しいですけど、まあ北大交響楽団そのものって感じですね。特に戦後の昭和30年代初めくらいからずっと常任指揮者でやってきてくれましたから。まあ情熱の塊で僕が知り合った時はもう49歳だったんですけども、一見普通のおじさん風ですけど、弦楽器はコントラバスからヴァイオリンまで何でも上手く弾くし、何より一番すごいと思うのは、だんだん分かって来たことですけど、まあ諦めない、ってことかな。本当に粘り強くて。それから、色々なものがないわけですね、学生オケには。自分たちに無くて欲しかったら自分たちで作ろう、そういう考え方でやってきた。ちょうど顧問だった岡藤太郎先生がそういうことを非常にバックアップして、自分たちで音楽を作っていくんだ、っていうね。そういうことを言われて、それを本気で実践したというそういう時代ですね。
ー奥先生が在団されていた時も川越先生が新曲を書かれて演奏していたんですか?
そうですね。もうずっと。えっと、エルムの鐘を昭和30年かな、クラーク会館の落成式の時ですね。年代間違ったら直さなきゃですね(笑)。その時に柿落としで作曲したのが最初なんですね。(80周年記念誌を確認して)エルムの鐘を作曲したのは昭和35(1960)年でした。それが作品第1です。でそのあと、すぐにできなかったですけど、1962年に管弦楽のためのアダージョというのを作曲して、それからほぼ毎回ですね。時々最初の第九の演奏会をした時は書かなかったりありましたけど、そういう例外を除いてほぼ毎年、年2回の定期演奏会の時に新曲をずっと書いて。それがずっと続いて2016年の秋の定期演奏会にサッポロセレナーデというのを書いてそれが最後ってことになったと思います。107曲かもっとになるかもしれないですね。
ー初演し続けて来たということか。
そうですね。これは多分他になかなか世界を見てもプロを見ても学生オケを見ても例がないんじゃないかと思います。
ー川越先生が亡くなられて、川越先生を知らない世代が中心となって活動していますが、そうした今の北大オケが川越先生の作品を演奏する意味というのはどんなところにありますか。
それは今話したこととも密接に関係すると思いますけど、北大オケが川越作品を持っているというのは北大オケの財産そのものというか、北大オケの未来そのものという風に感じますよね。つまり、西洋の名曲をもちろんいろいろ演奏して勉強してってことはとても大事なことなんですけど、それはある意味どこでもやっていることですよね。北大交響楽団には北大交響楽団のための曲が100曲以上あるってことですよね。この素晴らしさというのかな、これがいかにすごいことかっていうことは当たり前なので少し忘れてしまいそうになったりするんですけど、例えばウィーン・フィルにはヨハン・シュトラウスやマーラーがいる、ゲヴァントハウスにはバッハやメンデルスゾーンがいる、バッハも忘れられていたんですよね、だからメンデルスゾーンがバッハを復活させたとそういういきさつもありますけどもね、サンクトペテルブルグのオーケストラにはチャイコフスキーがいる、チェコ・フィルにはスメタナやドヴォルザークがいる、パリ管にはドビュッシーやラヴェルがいる。じゃあ日本のオーケストラにはありますかっていうと、プロのオーケストラでもないですよね。北大交響楽団はあるわけですよ。これはここにしかない作品、ここにしかない音、というものが常にある。ということなので、決して川越先生を知っている人が昔を懐かしんで演奏するわけではなくて、川越作品は北大交響楽団の未来そのものだという風に思いますね。なのでみんなで育てて、みんなで何度も演奏して、でまた新しい発見をして他の作曲家の曲をやっているのではできない勉強もできると思うし、あのそこは本当に北大交響楽団の最大の魅力にこれからなっていくんじゃないかなっていう風に思っています。
ーコロナ禍で北大オケも活動できなくて演奏会もちょうど2年くらいできませんでした。その後再開して、昨年の秋から演奏会をできるようになったんですが、それ以降の北大オケの演奏というのは今までと比べてどうですか?
コロナで中断してってこと直接関係あるかどうかわからないですけども、やはり川越先生に指導してもらっていた時の弦楽器というのは特色があったんですよね。上手いとか下手とかではないがそういう音色があったということがあるかもしれないですけど、ただ、学生が今自分たちが持っているものを持ち寄ってもう精一杯やる、という点では全然昔と変わっていないなと。特に去年の秋久しぶりに再開した時の演奏会は、しかも学生がみんなで指揮をしていましたよね。それは本当に学生オケの本来あるべき、まあでも時々客演来てもらっても良いけど、本来は学生が自分たちで指揮をして音楽を作っていくというのは本来の姿じゃないかと思うのだけども、非常に素晴らしい演奏会だったですよね。どの曲も良かった、なかなか大変なんですけども、学生だけでシンフォニーを作っていくのは。あの特に印象深かったのは交響詩「サッポロ」、川越先生の曲を若い指揮者がですね、素晴らしい音色に仕上げていて、川越先生本人が振ったのとはまた違う味が出るわけですよね。これは本当にこう望んでいたことというのかな、もう感激しました。
その熱気というのかな、特に久しぶりにやって不安もあったと思うのだけども、それでも合奏ができる喜びというのかな、それはあの客席に伝わったのじゃないかなと思いますね。やっぱ色々な演奏会の後、知り合いからもすごかったね、良かったねっていう声をたくさん聞いています。
ー今回100周年記念演奏会ということで世界的に有名な秋山先生をお呼びしてしかも第九をやるという本当に大きい演奏会をやるわけですが、それへの期待をお聞かせいただきたいです。
そうですね、あの、しばらく演奏会やっていなかった3年目にしても1年生の時から演奏会やってないわけですよね。そういう中でソリストを呼んできて、あるいは合唱団のマネージメントもして、っていうそういうチャレンジをして大きいものをやって100周年を祝おうっていうね、もうそのそういう気持ちだけでも北大オケらしい、素晴らしいなっていうね、って思っています。
ー100周年を超えて、今後北大オケにどんなオケになった欲しいですか。
それはもうある意味昔と変わらないっていうかな、学生が自分たちで悩みながら苦労しながら時にはぶつかり合いながらやっていくっていうそこはもう昔と変わらないと思うんですよね。ただ、もちろん昔と同じではないですし、昔が良かったという話ではなくて、やっぱ今いる人たちが自分たちのために最善を尽くしてね、それで作り上げていく、それをお客さんに聞いてもらって会場で共有して。やっぱそこに素晴らしさがあるので、誠実に一生懸命やれば必ずいろいろなことがうまくいくと思いますし、そして何よりも私たちには川越作品がありますから、それをもう要所要所で取り入れながらやっていくともう他にはない世界中どこにもない演奏会が毎回できるっていうことははっきりしているので、だからそれは大いに期待しますね。4年間でみんなほぼ入れ替わるっていうのは今も昔も変わらないんですね。で、その中で良いものを繋いでいこうっていうそういう伝統っていうのはもう無意識のうちに引き継がれていると思うので、岡藤太郎先生がね、昔の顧問の先生が「旅人の楽団」っていう風に言ったわけですよね。本当にみんな通過してくわけです。だけどそれが繋がっているわけですよね。その間のどこかがもし抜けたら100周年はないし、今の北大交響楽団は無いわけですから。なので、先輩から引き継いだものを大事に育てて、自分たちなりの良いものを精いっぱいやる、でそれをまた丁寧に後輩に受け渡していくって、これはもう変わらないなんじゃないかなと思います。
ーいよいよ演奏会まであと1ヶ月ほどになったのですが、北大オケの団員にメッセージをお願いします。
もう自信をもって、大変なことはたくさんありますけど、色々な人に支えられていると思うのですよね。良い音楽をするというのは、まあ良い研究をするのにも共通するんですけれども、イマジネーションっていうのかな、想像力っていうのがすごく大事でそれが良い演奏会するための重要な原動力ですけれども、その中には支えてくれている人、直接顔が思い浮かぶ人もいますけれども、広告をくれている人とか、あるいは来てくれるお客さんとか、あるいは会ったこともないOBとか色々な目に見えない支えがあって実はできているのですよね。そのことを忘れずに、そのことはイマジネーションがあればそういうおかげでできているんだっていうことはあの容易に想像つくと思うのでね、そういうことをしっかり忘れないようにしながらあとはやっぱり自分たちで誠実に精一杯やる、っていうことですよね。お客さんはそれを楽しみに来ていると思います。で、必ずそうすればうまくいきますから。是非頑張って欲しいなと思います。
ー今回この動画を見て頂いている方に何かメッセージを
北大交響楽団、長い伝統はありますけれども、毎年のようにメンバーが変わっていく、そういうオーケストラです。その中で素晴らしい伝統を維持しながらまた今いる人たちが新しいものを作り出しながら演奏会を紡ぎ出していきますので、今の北大交響楽団、どんな音を出すのか是非聞きに来てですね大きな拍手をして頂ければと思います。
ーありがとうございました。
インタビューの模様はこちらの動画からもご覧いただけます!
https://youtu.be/P3w0913fLbw
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