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かなえたい夢ᝰ✍︎ 153cmの私へ
30歳までの残りの時間を、指折り数える年齢になって思う。
大人になるほどに夢を語るのは難しくなり、叶えるのはもっと難しいのだと。
社会人になって数年経つのに、大人になりきれた自信はないけれど、それでも確実に"夢"というものから遠ざかっている感覚は年々強くなっている。きっと、受験、就活、転職、周りと同じステップを踏むために、夢という大きく不確かなものを見るのではなく、目標というたとえ小さくても着実なものを立て達成することに慣れてしまったからだと思う。
悪いこととは思わない。それで得られたものは沢山あるし、必要だったし、これからも絶対に必要。だけど時々、日常に躓いてしまった時とかに考えることがある。
幼い時に抱いて実現できなかった夢はどこにいってしまうのか。あれを叶えないまま歳を重ねてしまって良いのか。と。
身長153cm、ワインレッドのランドセルを背負った、ごくごく普通の田舎の小学4年生だった私は、本を読む楽しさに触れたその時から、同級生の誰よりも図書室に入り浸るちょっと変な子になった。当時は、毎日飽きもせず本を読んでいた。朝読書で本を読み、授業間の休み時間にも読み、昼休みは図書室で読み、家に帰っても読む。本を食べてしまうような勢いで、読書をしていたと思う。
学級文庫と図書室のある程度の本を読み尽くしてしまった冬のある日、読むだけでなく書く方にも興味を持った。身近に読めるものが無くなってしまったのなら書いたらいいのでは、という小学生らしい短絡的思考だったけれど、それを実現してしまう行動力もあった。
進級して5年生になった春、お手紙交換が流行った。週に一度くらいの頻度で、仲の良いグループ内で手紙を書いて交換していた。毎日一緒にいたのに、よくあんなに書くことがあったものだと思うけれど、夏休みくらいまでは続いていた気がする。その中で、1人の友人宛の手紙に短いお話を書いては忍ばせ、読んでもらっていた。
授業で作文なんかを書くことはあったけれど、誰かに読んでもらうために自分で考えて自分で物語を書くのはそれが初めてだった。
もう自分でも内容は覚えていないけれど、毎週読んで毎週感想をくれる律儀で優しい友人のおかげで、楽しく創作できていたことだけは覚えている。夏休み明けにお手紙交換ブームは消え去って、頻繁に読んでもらうことは無くなっても、書きつけるものを便箋からノートに変え物語を作り続けていた。
そして巡ってきた秋、念願の図書委員になった。足繁く図書室に通うようになってから、あのカウンターの中に入ることに一種の憧れがあった。本が好きなことがみんなに認められたような気持ちだった。
貸出カウンターの中には、それまでの4年半の小学校生活では知らなかった小さな世界が広がっていた。ページや表紙が破れた補修中の本、保育園以来久しぶりに見た紙芝居や簡素な紙芝居舞台、ラミネート加工された栞。図書委員にならなかったら学校にあることも知らなかったかもしれないこれらを、当番の度に眺めた。時にはノートに思いついたお話を書き付け、時には下級生向けに読み聞かせをしながら、卒業までの1年半図書委員を勤め上げた。そしてその頃から、将来は文字を書く仕事につけたら……という夢を抱くようになる。
大きくなったらケーキ屋さんになりたい。先生になりたい。みたいな、ザ・子供の将来の夢を人並みに持ったこともあったけれど、そういう作文を書くために見た将来の夢は、1年と経たずに別の職業にすり替わっていた。この後数年に渡って抱き続ける将来の夢ができたのは、後にも先にもこれっきりだった。
この夢を手放すタイミングが来るのは、高校2年生の夏頃、進路を選択していかなければならなくなる時期になってからだった。
みんな目指す将来像を具体的に描き始め、そのための進学先もしくは就職先を決め始める。小さい頃から人気だった消防士や美容師を目指す人も一定数いたけれど、将来は会社員や公務員と、ごく現実的な職種を上げ始める同級生が増えたように見えた時期でもある。
高校在学時文系クラスに身を置き、通っていた高校の偏差値も、自分の学力の底と天井も自覚していた私は、はじめは推薦入試で県外にある私立文系の四年生大学に行くつもりだったし、進路指導の先生からも大抵の推薦は貰えると言われていた。将来何になるにせよ、のびのびと興味のあることを学ぶ時間が欲しかった。そんな中、人生で初めての大きな壁にぶつかる。親と進路で揉めたのだ。
私の実家は決して太くない。むしろ細い。加えて進学を希望する年子のきょうだいがおり、長子でも男子でもない私は、仮に志望大学に合格しても進学するのは現実的ではなかった。だから両親は私に、県内の国公立大学で就職時役立つ資格を取れる学部であれば受験を認めると条件を課した。奨学金を上限で借りればなんとかなるだろうから、そして、大学を受験したことのない両親は、当時の私の偏差値でセンター試験をパスする難しさを知らなかったから。言うまでもなく、根本の原因は私の学力の低さにあったし、それを知っていながら東大を受験する人達みたいに全てを削れなかった私の責任でもある。ただ、許された進路は実質1校のみというなんとも厳しい状況が切なかった。
時は平成、交通インフラも通信技術も発達しているとはいえ、首都からも県の中心地からも遠く離れた片田舎。可愛い我が子のやりたいことは精一杯応援したいが、将来何になるともしれない4年間に出資することは、両親にとって限りなく負けに近い大博打だということは、給与所得者になった今なら少しは理解できるようにはなったけれど、齢17の小娘にとってはなかなかに絶望的な宣告だった。ましてや県外での一人暮らしとくれば、莫大な資金面以外にも生活の心配もするのが親心。それもなんとなくわかってはいた。
だからなんとか両親の希望を汲みつつ進学すべく、それまで生命維持活動の一部のごとく日常に組み込まれていた読書の時間を大幅に削って勉強に費やしてはみたけれど、どか雪の中の入試を終えて迎えた春、もとの希望とは違った路へ進むことになった。
心がポッキリ折れたのもこの春だった。
それまで水を飲むかのように読んでいた本にパタリと手をつけなくなり、以降段々と読む頻度が減り、数年たった今では、読む本は漫画か雑誌くらいで、文字を主食としなくなっていた。感性が萎びれていったのが自分でよくわかった。
学生のうちだって、社会人になってからだって、読める本は身近にあったし書こうと思えば書けるのに、忙しいだのなんだの理由をつけて筆を取らずページを開かないできたのは、それをすればきっと折れてしまった心がまだ痛むと思ったからだろうか。
進路選択というたったそれだけのことが、ここまで深く根を下ろすとは思ってもみなかった。
それでも、本なんか読まなくたって日常はそれなりに過ぎ去ってゆくもので、学生時代は風のように過ぎ去り、上京して瀟洒な環境に身を置きあくせくと働いた。途中全国的にウイルスが蔓延し仕事がままならないこともありはしたけれど、働き方を変えたり職場を変えたりしながら食いつないでいる。折れてしまった心は元通りとは言えないけれど、ヒビ割れは塞がったと思うし、少し歪でもなんとか形になってる。
今は今で、昔とは全然違う目標があって、日々着々と達成できるように奔走している。たとえ半歩ずつしか進めていなかったとしても、目標に近づけている実感は確かにあって満ち足りていた。自身の未熟さが悔しくて枕を濡らす夜も無いとは言えないけれど、楽しくて張合いがある毎日を過ごせている。はずだった。
前を向いて歩いていたら、見えない小さな窪みに足を引っ掛けて転んだような気分。でもその窪みを埋められなかったのは、紛れもなく過去の自分で。普段なら気付ける違和感を見落としてしまったのは、焦って視界が狭くなっていたからなのかもしれない。転んでぶつけた体がひどく痛い気がする。ふらついて真っ直ぐいることもできない。がむしゃらに全力疾走してきたわけでもないのに、そこから立ち上がれなくなってしまったのだ。
蹲る私なんて居ないかのように数え切れない足が通り過ぎていく雑踏の中、立ち止まり屈んで顔を覗き込んできたのは、他でもないランドセルを背負った153cmの私だった。
記憶の中にしまい込んでいた。そんな時代もあったねなんて、名曲の歌詞くらいの存在に成り果てていた幼い私は、その胸にいつか私がどこかで落っことしてきた夢を大切そうに抱きしめて、人より少し細い目を輝かせていた。とうに目から光を失っていた私には、あまりにも眩しい。顔から火が出そう。今の自分の姿は、理想の大人になれると無邪気に信じる子供に見せていいものじゃないように思えてならなかった。
これは自分の頭の中だけで完結した、ただの思い出話でしかない。日常に躓いて、幼い頃に思いを馳せるしがないOLのどこにでもある風景。
だけど、一度堰を切るととめどなく溢れだしてくる性分なのだ。思い出も、感情も、あとついでに涙も。
出すものを出した私はひとつ決意した。
これから書こうと。何を書くかはまだ決まっていないけれど、思いつくものを書こう。短くても、拙くても、おもしろくなくてもいいから、書こう。人が呼吸するように、食べて眠るように、書くことを日常動作に組み込んで生活してみよう。そうしていつか、納得できる1つを書き上げたい。そのために書くことを始めることにした。
そしてそのためには読もうとも思った。紙から、液晶画面から、多くの書き手が紡ぎ出した言葉を、咀嚼し飲み下して体に巡らせ、これからの糧としなければ。世界には、日本にすら、知らないだけで洗練された古式ゆかしい言葉や、新しく生まれたポップな言葉が溢れているのだから。
153cmの私へ。あなたの夢を叶えることが、これからの私の人生の大きな夢です。あの時心に灯った夢を、なかったことには絶対にしません。周りから笑われるかもしれなかったその夢を、胸を張ってこれが夢だと言い続けていた無鉄砲さは、もしかしたら今の私に一番必要かもしれないね。何百万人に読んでもらうのは難しいかもしれないけれど、まずは立ち止まって読んでくれる人が1人でも現れるような文章を書きたいです。小説を書くのか、エッセイやコラムを書くのか、はたまた全く別の何かを書くのか、まだ決まっていないし何を書けるのか検討もつかないけれど、書くことを続けて、いつか人生を支えてくれた人達の元にも届くような文章を作れたら幸せだね。
そして、159cmの私へ。学力だけじゃなく、リサーチ力も低い上に説明下手すぎて、親を説得できなくて進路を諦めた私へ。色々未熟だった私が一番謝らなければいけない過去、それがあなたです。挑戦すらできない悔しさは、夢に見るほど心に染み付いて消えないコンプレックスになっています。いつになるかわからないけれど、夢を叶えることができたなら、その時は絶対に改めて大学受験をしてあなたの悔しさも晴らしたいと思っています。
きっと私は、叶えないまま歳を重ねることができない方の人間だったのだ。だから、時間はかかっても半歩ずつの小さな歩みだとしても、積み重ねて実現することに決めました。これは私の夢だもの、私が叶えなくちゃいけないよね。叶えるために頑張れたら、今よりもっと自分のことを好きになれる気がする。どうせなら、自分のことを思い切り好きでいたいと思うから。歳をとって振り返った時に、こちらを向く自分がみんな笑っている、そんな人生を歩めるように。
この文章を決意の証に残して、これからも書き綴り続けます。
162cmの私より