「偉大な問い」とはなんだろうか?
堀江貴文氏個人について賛否両論はあるものの、言ってることの説得力は大したものである。
「それらしいことをそれっぽく自信満々にいえば大体のことは納得される」は僕の名言の一つではあるが、それを地でいくのが堀江貴文氏とかひろゆき氏あたりの人間である。
さて、先日堀江貴文はYouTubeで「情報が民主化して誰でも無料かそれに近い価格で無限に情報にアクセスできるようになった。あとは行動力があるか無いかの話」みたいな発言をしていたがまさにその通りかなとは思ってしまう。
だが、あえて蛇足するのであれば僕はこれに「偉大な問い」を設定するという段階がすっぽりと抜けているので何を言っとるんだこいつらはと理解されにくいのだと思う。
一応何度も言うが僕は堀江貴文シンパでは無く、ふしめろシンパである。天上天下唯我独尊である。
偉大なる問いを持つもの持たざるもの
昨日見てて非常に面白いと思った動画が2本あるので早送りで見て欲しいのであるが、東大女学生が二人出てきて堀江貴文に質問すると言う代物だ。
この女学生二人は要素的にほぼ均質な存在である。学力が高いと言われる東大に所属し容姿にも恵まれているが、この二人の目に見えない明確な違いとは何かといえば「偉大な問い」を持てているかどうかの一点に尽きる。
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