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行方届

陰鬱な夜ほど眠気は吹き飛んでいる。月すら見えない日には尚更のことだ。いつだって人間は一個体として孤独であるし、故に群れる。別に進んで孤独を得たわけではない。しかし孤独はヒトとの隔たりによって価値を生み出し、その隔たりによってほかでもない孤独を助長する。価値はあるもの同士の差異によって発生する。孤独は揺蕩い、拡張する。内面の虚を満たしていく。そのうちに孤独は最も安易な実数解を導き出す。この孤独を一度0に変える唯一の甘美なる解としての死を。

人間は嘗て生きる意味という最も単純で重要な問いに答えを出し得なかった。それ故に全てに妥協し、道具を持った。神と名付けられたそれは人間にとって全ての不可解を包容する便利な器だった。しかしやがて神は意志を持った。人間を支配し、それを人間が利用し、また支配し。やがて人類は神の正体を明かそうと試みついに神を排した。神は他でもないその人自身への好奇心によって旧時代的な偶像に成り下がった。

当たり前のように誰かが死を選ぶ。自殺のニュースを流す音声に最初のうちは深い哀悼を捧げたものだが、今やそのキャスターの沈痛な声も耳に入ることすらない。不意に眼中が濡れることもないのだ。これは私の非情だろうか。恐らくはもう手一杯なのだ。自らの孤独を埋めるものが見つからない。

孤独を埋めようと誰かを求めるが、私に、私の憂鬱を打ち明けられるほどの友人はいない。それは他ならぬ孤独のためで、それを許容した私の所為でもあるのだ。最早、私の微弱な自尊心は闇を抱え込んで仮面を被り、鎧を着ることにのみ依存している。そう思うと、何処かで少し安息が得たくなる。ゆっくりと靴紐を固く結び玄関を出る。深闇の他に誰もいない。その時やっと平穏を感じる。孤独な平穏だが、鎧を着ているよりは幾分かマシだろう。少し瞳を濡らすことが許される。感情の渦がとぐろを巻く。

やがてゆっくりと息を吸い込むと何故か生きていくのも死ぬのもめんどくさくなる。如何にせよ1人であろうに、果たして生きるとか死ぬとかなんだろうと。そうして少し微笑んで、ゆっくりと家に戻って机に向かう。日記を書くのだ。今日はまだ死ぬことはないだろうと決定した記念に。自分の存在の唯一の証明として。そして明日の自分に提出する。

行方届は私がどこにいたかを教えてくれる。生きてるだけでマシだろうと教えてくれる。それでも満たされない傲慢な自分を教えてくれるのだ。

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