消えたい夜もあったけれど
対人関係にまつわる本を読んだだけで随分心は軽くなったけど、それでも心のどこかで、「ん?」ってなってる自分がいる。
というか、時々自分の死について考える事がある。親の死について考えると怖くて寂しくて仕方がない。でも自分の死については恐怖を感じない。みんなそんなものだろう。
たまたまこの前虫が飛んでいたので潰した。
当たり前だけど、虫は死んだ。机の上で。
それを見てると、この虫は今死んだんだな、もう生きられないんだな、私が殺したから、命が尽きて、意識も無くなって、魂もあの世に行くんだなって思った。
呆気なく、儚い命だと思った。私は手で挟まれても死なないけど、手じゃなくて硬くて厚い鉄筋コンクリートが勢いよく挟んできたら死んでいたかもしれない。そう思うと、自分の命って、結構儚いもんだなって感じた。
お葬式に行った事がある。
みんな泣いていたし、私ももちろん泣いた。
火葬場で棺桶が奥に運ばれて行った後、量の多いお昼ごはんを食べた。食欲は無かった。
お昼を挟んで、その人は骨になっていた。
私がほんの少しの間これを食べて生きている頃、あなたはもう焼かれていた。
結構運ばれてから骨になるまであっさり終わった。死んでいるから当たり前だけど、骨にする為に焼くのは割と簡単だなって思った。
他人の死に方は好きにしてくださいって感じだけど、私の死に方には興味がある。
私が死ぬ時、誰かが看取ってくれてるのかな。痛いのかな、怖いのかな。きっと痛くはないと思うけど、辛く苦しくないように、ゆっくり幸せに死にたいな。
幸せに死ぬ、というのは、この上ないご褒美だと思う。人が生きている間恐れる死ぬ時でさえも、幸せなのだから。
さっきの虫も、私が何回か叩いて失敗したら、逃げるのに恐怖を感じただろうか。それとも一発で決めたら、一瞬痛いか痛くないかくらいで終わりだったのだろうか。その二択だったら、圧倒的に後者の方がいい。
夜になると消えたくなるなんてみんなにもあることだけれど、夜は孤独を感じるからではないかな。
夜って静かで寂しくて、一人暮らしの人とかはもっと孤独を感じそう。
自分の自由にはできるけど、人とは関われない。それが孤立のような気がして、あるいは本能的に「1人は危険だ」と感じてるのかも。
そんな夜もあったけれど、結局は命なんて語るに語るから厚みのあるように聴こえるが、本当は紙一枚のような薄っぺらいものなのではないか。
別に死を早く体験したいとかでは全然ないけど、いつか死ぬ時に幸せだといいなぁ、その為に今の根本の人生の所をもっと豊かにしていかないと、とは感じてる。