純白啓蒙読書会#5 YouTuberをやめてしまった人間の問題点。〜初田龍胡『YouTuberのなりかた』批評〜【界隈塾批評】
そもそもこの本を書いた作者がYouTuberをやめてしまったのはいかがなものか?
しかし、それは理由がつく。
初田氏はYouTuber=逆精神病院だと勝手に定義し中退ししかも発達障害/精神障害で席に座れなかった自分を治療するために地獄であるメタバースプラットフォーム、YouTuberへと転身したと書いているのだ。
確かにぱくもとこと陽キャ哲学やFPもとここと能動経済、だめライフの山田、ネオ幕府の相川など日本語が苦手そうで人に迷惑をかけたり利権でチューチューするようなクズたちがあたり散らして威張っていて幸福な監獄へぶち込まれているのがYouTuberの現状なのだ。
初田氏は自らを大企業へ入れなかった負け組側、ゴキブリだと定義し(されて)、より負け犬側である三軍のYouTuberたちを虐めるのだと提唱する(©PPP-戦争論)。
しかし、その初田氏の振る舞いそのものが東京という物語を維持しようとする病理、文学だという気がしてくる。
初田氏を創価2世系YouTuberぱくもと氏が麻布競馬場だと評したことがあるが、惜しいと思う。
より厳密に定義するのならば東京タワー的なタワマン、この窓から東京タワーは見えない、ではなく、東京スカイツリーは安楽死施設である、東京はITに負けたのだという価値観の方がよりセンセティブだとさえ思うのだ。
だから、今のYouTuberのなりかたについている中沢新一のようだという解説は間違えていると思う。
むしろ東京スカイツリー文学だと提唱したく、ゴキブリはむしろ私の方なのだ(成田悠輔命名)。
というわけで、いよいよ成田悠輔『22世紀の民主主義 政治家はネコになり、選挙はアルゴリズムになる』も怪しくなる。
なぜならば、成田悠輔の振る舞いは余りに東京をそしてTVを守ろうとする保身的な態度に他ならない。
もっとも成田博士は偉いし会ったこともあるが、彼は天才である。
しかし、成田博士の問題は余りに思想性が薄く経済学者の情報処理で良くも悪くも書いてしまっていて文芸的芸術センスに欠ける、ようするに遊びが足りてないことだ。
これは様々に問題である。
私たちの暮らす東京は既に崩御し東京タワーから東京スカイツリーへと変貌を遂げている。
そのような視野が欠けている点で成田博士の『22世紀の民主主義』はメンタルを治療する思考が欠如している。