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或る男の娘との邂逅 【陽キャ哲学】【22世紀の民主主義】【だめライフ】
〜はじめに〜
おはざ〜す、武蔵野美術大学YouTuberの古田です☆ってこんな恥ずかしいこと言えるか!
ボクは男の娘が大嫌いだ。
そんな自分に驚いたのが、今日の日だった。
ナニを言っているんだと思うかもしれないが、自分が男の娘のことが大嫌いなんだと気づいたことで、全てのあらゆる事象が氷解することが起きたのだ。
ちなみにボクは漫画においてはむしろ男の娘肯定派だ。
そもそも男の娘とは一体なんだろう?
端的に言い表せば、wiki曰く、少女のような外見をした少年を大体指すという。
あくまでも、創作物やフィクションとしてはボクはむしろ男の娘はけっこう好きだし、嫌いですらないのだけど、平成も終わり、令和におけるSNS全盛期においてこの男の娘化は自身の生得的利益も含めてボクより下のZ世代で流行していると思う。
もっともwikiに書いてある通り、男の娘はあくまでトランスジェンダーやゲイなどではなく、一種のコスプレイヤーのようなものらしい。
男性が女装をすることで可愛がられたい、イチャイチャしたい、てぇてぇしたいというのは、ある種社会が存在すると思い込みたい低能な動物においては常識的な欲求かもしれない。
だが、この男の娘を過度に行使するとむしろホモソーシャルな空間で悪い意味でツンデレ的な現象に発展する。
頭が良くなることにも興味がなく居場所を探しているだけの商人は単なる男の娘であるし、もちろん現実社会において男の娘の都合の良さはあり、男の攻撃性を担保にしながらも、女として甘えるというどうしようもないクズさを露呈させている。
感情的な暴走を悪化させたより徹底された男性の暴力性、それが男の娘という夢を現実でブレーキが効かずに行う行為だ。
社会に甘える屑にも居場所をという陽キャ哲学の負の共産主義性がこの男の娘現象である。
この対談批評はとある田舎の男の娘との邂逅ルポ記録である。
もっともここにはVtuberやyayなどといった男の欲望を演じたVライバーを見ている人々が自身をその女の子だと投射するコンテンツの負の面でもあるだろう。
シナシナにしなびたペニスが戦後のアメリカに負けた日本の姿なんだとボクは今更言うつもりはない。
ただ男の娘は面白い。
健全な範囲で男の娘を行ってもらい、健全な範囲でプロレスだとしたら正当だろう。
てぇてぇはコンテンツになるからだ。
しかし、寂しさやIQの誤魔化しは問題だ。
この対談動画は或る弱者男性との対談を参考に記述させていただいた。
きっと面白いことになったんだろうな。
〈追記〉
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この小人は知り合いのYouTuberと縁を切り、オレを取れと言ってきた。
さぶいぼである。