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「LRS②」2023年4月10日~4月16日

どうでも良いんだけど昔から数字を並べられて、それがいくつかというのが苦手で、10~16は6じゃないの?って直感的に思ってしまう。まあ10があるから7なのはわかるんだけど。

経験したこともの

エヴァ二次小説+ANIMA

animaはそんなに好きじゃなかったな。というかシンエヴァもなんかつらくてちゃんと見直せてない。ハッピーエンドじゃないのが辛くて。
別に何かをかけてるわけじゃないから良いんだけど、エヴァの話自体がそんなに面白いと思ってないかも。嫌いって事でも無いんだけど、SF的な設定の面白さとキャラクターのストーリーの面白さが自分の中でうまく結びついてないのかもしれない。なんかすごい用語がいっぱいだー、っていう面白さは確かにあって嫌いじゃないんだけど、それとキャラの人生の結びつきというか必然性みたいなのにあまり納得がいってなかったのかな。
話だけどんどんデカくなるけど、人生において解決すべき問題の方はそれとあんまり関係なくない?っていう感じなのかな。
二次だと多くは解決すべき人間関係の問題の方を解決してて素敵だなと思うんだけど、今度は世界観の方がおざなりになりがちなイメージ。恐らく旧劇の方でちゃんとやってて、シンは見てる前提なのかなと言う気もする。

といいつつ貞エヴァを買ったので今週もエヴァかなぁ。

飯田『新哲学対話』

坂井健太郎「分析形而上学における人格の同一性--人格の同一性は何によって担保されるか」

もっとちゃんと書誌というか表記しないといけないんだろうが面倒で。日記だし検索できるし許してもらおう。『新哲学対話』の方は最初の趣味の問題とかが面白かったな。
そんなに真面目に考えられていないけど、例えば味覚の洗練は良いことなのかなとかって日常的な疑問で、いまだによくわからない。
つまり、舌が肥えると質の悪いもので満足できなくなって結果的に効用が落ちるのでは見たいな話で、そうならばそれは良いのかみたいな。
暫定的に考えている事としては、舌が肥えること、趣味が洗練されることは①識別能力が上がるということと②求めるものの程度が上がるという事の二つの側面があって、往々にして?イメージ的に①と②がくっついていて、概してそうかもしれないけど、分けられることではあるのかなって。だから、①自体は多分良いことで、②もその余裕があれば良い事かなと。

現実的には趣味の洗練によって好み自体も変わると思うけど、例えば美味しいものは①によってより明確に味わうことができて、でもそれ自体が美味しさをあげるわけでは無く、また不味いものもまずいことが明確にわかるようになって、でも別により不味く感じるということではない。だから①自体は悪くなく、良いと言えるかは難しいけどまあ悪くはない。

で、いや、だから、舌が肥えることの問題点はそこにあるわけじゃないのかもしれない。確か、幸福には現時点に満足することと上昇することの二つの側面があるって青山『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』にあって、ここで問われているのはむしろそっちなのかもしれない。

なんか①は別に幸福に寄与するタイプの価値ではない気がするんだよな。どちらかといえば真に近い感じがする。でも結局それもそれがわからなければ云々ということになると思うから、悪くは無いって言いたいけど、自分が不幸であると認識することが幸福なのかはいまいちやっぱりわからないかも。でも自分が病気だって認識しないと治療できないしな。いや、治療手段がない時にもそうかってのが問題か。

そうだと言いたくなってしまうけど、そうなのかはわからない。
えーと、後何したっけな。まああいいや。


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