禿頭記2 現人神

濡れた後頭部を指さされて『ヤダッ!』と叫ばれたのは、僕が36歳になる頃でした。それ以来ゴルゴ13ばりに、背後に他人がいることが気になるようになりました。そして、頭が濡れることを極端に怯えるようになりました。額が後退するタイプの方はまた違った危機感をお持ちなのでしょうが、僕のようにつむじ付近から目減りしていくタイプの人間は、自己確認がとてもしづらいのです。ごまかそうにも、目視できなければ適切な処理ができません。疑心暗鬼はつのるばかりです。表向きは普通を装っていましたが、内心はそれなり憂鬱でした。40過ぎて額側の毛も減りはじめてからむしろ安心したのをよく憶えています。

『日本人は気にしすぎだよ。欧米ではハゲは精力が強い象徴だからむしろモテるんだよ』
みなさん、こんな言葉を聞いたことありませんか? 誰が言ったか知りませんが、まあ、とんだガセネタが流布したものです。僕の知るかぎり、欧米の人もちゃんと気にしています。証拠に、かつてのハリウッドスターやロックスターに、ハゲてる人はほぼ見当たりません。みんな豊かな髪を銀幕や照明の下でなびかせています。とくに60〜70年代のロングヘアー全盛期に活躍したスターなどは、もう古希を超えて何年も経つのにあの頃のままです。ロックスターではポール マッカートニー、ミック ジャガー、ロッド ステュワートetc。映画スターではロバート デ ニーロ、アル パチーノ、シルベスター スタローンetc。どちら様も毛量はきちんと確保されてます。まあ、お金も人材も豊富でしょうから、植えたり被ったりも何不自由なくおできになるんで、実際のところはわかりませんが、少なくともみなさん絶対ハゲたくないと思っていらっしゃるのは一目瞭然です。

かつて、ハゲてしまったおじさん達はもうなすすべがありませんでした。横の毛を伸ばして頭頂部の薄いところをカバーしたおじさん達が、朝の通勤電車にはゴロゴロいたものです。吊り革につかまって立っていると、目の前の席に座ったおじさん達がそろいもそろってバーコードみたいな頭をして新聞を読んでいる風景を、若い頃どれだけ見たかわかりません。『あるところから無いところに無理やり髪を持っていく』これ以外に方法はないものと長い間信じられてきました。そこに一人、あの毛髪大国ハリウッドから救世主が現れました。ハゲたおじさんがスクリーンを縦横無尽に駆け巡り大活躍するその映画は、80年代末に世界中で大ヒットし、その後のアクション映画に多大な影響を与えました。その映画の名は『ダイ ハード』。主演はブルース ウィリスという、テレビから出てきた元ミュージシャンの俳優でした。

ハゲてもヒーローになれる。我々の神、ブルース様はそれを証明しました。ダイ ハードもあれからシリーズ化して、回を追うごとに毛がなくなっていく現人神。それに続けとばかりに、ヴィン ディーゼル、ジェイソン ステイサム、ドゥエイン ジョンソンなど続々とハゲたアクションスターが登場しました。今では、あの忌まわしきバーコード頭をしたおじさん達も姿を消して、スッキリ頭を坊主にしたおじさん達が電車の席に並んでいます。これだけ世界を変えた人が、かつていたでしょうか? 残念ながら去年、俳優業から引退してしまいましたが、ブルース ウィリスが遺したハゲ革命の遺産は、我々市井の人間にまできちんと継承されています。

ありがとうブルース ウィリス様。あなたの演じたジョン マクレーンのように、実際のあなたも人をたくさん救ってくれました。

あれから二十年近く過ぎてすっかり坊主になり、雨も風も怖くなくなった僕は、かつて死ぬほど気にしていた後頭部をボリボリと掻きながらひとしきり感謝するのでした。

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