事業主負担はどの程度転嫁されるか:日本の実証研究

話題になっていたので調べてみました。変なこと書いてたら教えてください。追加の研究があれば嬉しいので教えてください(できれば論文化しているもの)。

参考文献

岩本康志・濱秋純哉 (2006) 「社会保険料の帰着分析 経済学的考察」 『季刊・社会保障研究』 Vol. 42, No. 3, pp. 204- 218.

酒井正・風神佐知子 (2007) 「介護保険制度の帰着分析」 『医療と社会』 Vol. 16, No. 3, pp. 285-301.

Miyazato, N., Ogura, S. 2010. Empirical analysis of the incidence of employer’s contributions for health care and long term care insurances in Japan. PIE/CIS Discussion Paper series, Hitotsubashi University.

Hamaaki, J. 2016. The Incidence of Health Insurance Costs: Empirical evidence from Japan, RIETI Discussion Paper Series 16-E-020. 2016.

Kodama, N., I. Yokoyama. 2017. Labor Market Impact of Labor Cost Increase without Productivity Gain: A natural experiment from the 2003 social insurance premium reform in Japan ,RIETI Discussion Paper Series 17-E-093. 2017.
(上記のディスカッション・ペーパーが論文化されたもの:Kodama, N., and I. Yokoyama. 2018 “The Labour Market Effects of Increases in Social Insurance Premium: Evidence from Japan,” Oxford Bulletin of Economics and Statistics, 80(5): 992-1019, DOI: 10.1111/obes.12226.)

各研究の紹介

岩本・濱秋(2006)は「賃金への正の影響」、「賃金への完全な転嫁」という先行研究の実証結果はどちらもバイアスのかかったものとして、「事業主負担は. 賃金に部分的に転嫁するという結果が妥当である. と考えられる。」と結論付けている。

酒井・風神(2007)は、介護保険料を課された40歳以上の(男性)労働者の賃金低下を観察し、事業主負担が労働者の賃金低下という形で帰着する可能性を示唆した。しかし別の年齢境界を用いた頑健分析において「40歳という年齢境界は必ずしも重要なわけではない可能性も示され,中高年層に見られた賃金低下が本当に新たに課された事業主負担によるものであったかどうかについては,本分析の枠組みからははっきりした結論が得られなかった。」

Miyazato and Ogura(2010)は、ミクロデータを用いた分析において、事業主負担の正規労働者の賃金率に対する統計的に有意な負の影響を認めなかった。一方、正規労働者と非正規労働者の相対賃金率には負の影響があるとし、事業主負担が正規労働者の非正規労働者への代替をもたらすことを示唆した。

Hamaaki(2016)は2003年の総報酬制導入による保険料率の変化を利用して、事業主負担がどの程度シフトしているかを測るため、総報酬制導入前後で変数の差分を取って推計している(論文中の式6を参照)。総報酬制導入を利用したOLS推定でも操作変数IV推定でも、労働者の標準報酬月額に対する事業主負担の係数の推計値は負であるが有意ではない。この結果について、ボーナスを含めて推定できなかったことが影響していると考察している(p12)。
 OLS推計の結果、総報酬制導入直後の1年間では、事業主負担増は報酬月額を通じて従業員にはシフトしていなかったが、5年後には(有意ではないが)50%がシフトしたとされる。観察期間が低インフレの時期であるため、事業主負担を短期的に労働者に転嫁するのは困難であったと解釈している。
 なおOLS推定の結果は賃金の変化→保険料率の変化という逆因果(あるいは総報酬制導入後、総報酬に占める月給のウェイトが高まることによる変化)によって過大に推定されている可能性があり、そのためIV推定の方が事業主負担の係数の絶対値が小さくなることが予想される(p13)。予想と異なり、OLS推定よりもIV推定で事業主負担の係数を大きく推定している。なおIVには財務状況を代理するRequired Contributionを採用している。著者は被保険者数の少ない健康保険組合の存在によって結果が不安定化したためと考えている。被保険者数が少ない組合を除いた追加の分析では概ねIV推定の係数の方が小さいという結果を得ている。

Kodama and Yokoyama(2018)も2003年の総報酬制導入を自然実験として利用し、 労働者負担分の社会保険料増加(月給に対するボーナス比率が1月分高くなると0.7%分増加)は賃金の増加でカバーされたが、雇用の縮小により企業のコスト増が相殺されたという結果を報告している。事業主負担に関して、「企業負担分の社会保険料負担増加は企業が支払った」として、転嫁は観察できなかった。

(注)Kodama and Yokoyama(2018)とHamaaki(2016)はどちらも総報酬制導入を自然実験として分析している。両者の違いとして、Hamaaki(2016)のデータセットには総報酬制導入前(2003年より前)のボーナスの情報が含まれておらず(Hamaaki(2016)の注12を参照)、総報酬制導入に伴うボーナス比率の大小による社会保険料負担の増加を直接計測できていない(総報酬制が導入されていなかったと仮定した場合の仮想の社会保険料率を計算して、保険料率の変化を推定している)。これに対してKodama and Yokoyama(2018)は、制度導入前後の両方の期間について、実際のボーナス対給与比率を把握し、総報酬制導入に伴う社会保険料負担の増加を評価している。Hamaaki(2016)の総報酬制導入を利用した推計では2002年~2007年のデータを用いている一方、Kodama and Yokoyama(2018)は1999年~2006年のデータを利用している。Kodama and Yokoyama(2018)は各事業所における労働者の性別、潜在的な経験年数、勤続年数、学歴などに関する構成など、時間を通じて変化する特性に関するより多くの情報を利用している(Kodama and Yokoyama(2018)の注3を参照)。

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