made in 不幸
不幸は簡単だ。
上手くいってる他人と比べればシンプルお手軽に不幸ができる。
およそ健全とはいえない。
ハッピーな他人もどこかでは苦悩があったり、そこにたどり着くまでにそれなりの苦労を背負ってることが大半だ。
それをすっぽり無視して良い部分だけに焦点を当てるとおかしなことになってくる。
見上げるなら絶対軸、見下ろす時は相対軸
羨ましいとか、すごいなとか、そう思える人を見た時に自分は一旦蚊帳の外に置く。
比較したらそんなん不幸になるのは決まってるし、何より生い立ちも分野も違う赤の他人は自分の延長線上にはいない。自分と同じ土俵には立っていないのだ。
「良い人は良い、そういうものなのだ。」と割り切ってみると、なんだか素直に素敵に見えてくる。むしろ見習わなくてはとか、色んなポジティブがあふれる。言ってしまえば推しやスターを見る感覚だ。一般人相手だろうがその方が格段に健全なのである。
何度も言うが、境遇が似ていようがなんだろうが所詮は赤の他人である。
そしてこれが健全かと問われるとイマイチそうとも言い切れないのだが、逆に他人の不幸に対してはあえてその土俵に立ってみる。
立ってみると自分ってわりと恵まれてんじゃんとか、ここまで深く考えてこなかったなとか、逆に色々反省点が見えてきてなんだかこれも最終的にポジティブになっている。
人の不幸に優越感を覚えている、と指差し確認されたらぐうの音も出ないのだが、他人の不幸を自分に置き換えてみると色々思考が広がって、いざという時にその人に寄り添うだけの余裕も出てくる。
人間何事も余裕なのだ。
良いものを羨んで比較すれば余裕がなくなるし、逆にそうでないものに焦点を当てると人助けの余裕くらいは出てくる。
上を見る時は絶対軸、下を見る時は相対軸。
少なくとも私はそれでいいと思ってる。
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