noteの存在を忘れきってました

instagramをスマホのホーム画面から消して以来(アンインストールはしていない)、最近はもっぱらSNSから離れて過ごしています。
元々Xも投稿するよりも見る方が多かったけど、要は世間でいう「若者のSNS離れ」が今ようやく到達した。大体そんな感じです。36歳なのでいい塩梅で遅れてやってきました。

そして行き着いた先が「またブログやってみようかな」
とても久しぶりにログインしてみました。note、いいですね。見やすいし、余計な情報も入ってこない。

最近というかここ2年くらい、急激な老いを感じています。
腰が痛い、膝が痛いなどという類のものではなく、単純に落ち込みやすくなってます。そして元々持っていた強迫観念が増倍している。

落ち込みやすくなっているに関しては、言い方を変えれば「急速に完璧主義になってきている」だと思う。いや確実にそう。
これは完全に、歳を重ねてきて、半端に色々な経験や知恵がついてきて、こうしたらこうなるかもしれない(後述する「強迫観念」に通ずる)からこうしよう、というのが、自分だけに留まらず誰かにも求めるようになってきた。それがとんでもなく苦しいです。
苦しいなら辞めればいいじゃん。それが唯一の脱却方法であり正解なのですが、何故かそれが出来ない。そして脱却出来たとしてもあまりにも時間が掛かりすぎる。
そして大抵結果がよくない。迷惑をかけてしまっている。

タイガー&ドラゴンというドラマで、西田敏行さん演ずる落語家が「お前らみたいな若いもんは年取ったら丸くなると思ってるだろ。冗談じゃないよ。どんどん捻じ曲がってきて腹のなかが真っ黒になる」みたいなセリフがあるのですが、本当にまったくもってそう思います。
歳を重ねるごとに「今までの自分」と「新しい自分」がぐちゃぐちゃに重なっていって、いや、重なるなんてもんじゃない。一生混ざり合うことがない泥のようなものがどんどんどんどん蓄積されて、心身共に侵されていくような感覚。
しかもどちらとも予期せぬタイミングでひょっこり顔を出してくるから、それも含めて、年々自分のあやし方がわからなくなってくる。

強迫観念に関しては厄介で、わかりやすいのでいえば以前にも増して潔癖に拍車がかかっています。
潔癖に関しては少し前まで母親の影響だと思ってましたが、実家に帰った際に掃除をする母親を見て「あれ、なんか思ったより潔癖じゃないな…」と気付いてしまいました。なので私の潔癖は遺伝でも影響でも無く、完全に独立したものです。

先述した「完璧主義」の話に戻りますが、「こうなったらどうしよう」という強迫観念が常日頃とはいわないまでも突然襲いかかってきて、それを逃れるための「急速な完璧主義化」なのではないかと懸念しています。
結果として迷惑をかけてしまう。とんでもなく苦しい。  
どうしたらいいんだろう、といくら考えても、「あの時こうしていれば良かった」しか出てこない。先が見えない。光はあるのかもしれないけど、あまりにも暗すぎる。

そして最近周りの人が死にすぎている。それが何よりも苦しい。居なくならないでほしい。
そんなことは無理だけど、人の死に少しは慣れたい。
泣けるタイミングで泣きたい。受け止める、受け入れるのに私はきっと時間が掛かりすぎるから、いつまでも泣けないし引きずってしまっている。
ずっと夢に出てくるし、声も匂いも何もかも覚えてる。

夜眠るのが怖い時期が定期的に訪れるのですが、今日はなんだかそんな日なような気がして、久しぶりにブログを書いてみました。
また書きます。
きっとどうにかなりますように


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