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黄山と筋肉痛

1.まず最初に


3日目はから4日目にかけて山登りをしました。
しかし、日本で自分が経験した登山とは少し異なる登山でした。例えば、険しい石階段だったり、柵のない断崖絶壁の遊歩道だったり。
黄山の説明↓

2.黄山までの行き方

上海から高鉄に乗り、黄山北站まで行きます。大体3時間くらいかかります。
高鉄と日本の新幹線のプラットホームとでは異なる点がいくつかありますが、やはりプラットホームでタバコが吸えるということは日本との決定的な違いであると思います。(父親曰く国鉄時代の新幹線と同じ)
これは自分に話ではないですが、自分よりニコチン中毒の友人や中国人の乗客は停車駅の度に外に出てはタバコを吸って、地面にポイ捨てをするという日本では考えられない光景が目の前に広がっていました。

黄山北站

黄山北站から黄山までは白タクのようなものに乗って移動しました。相乗りで7人乗りワンボックスカーの真ん中の通路を座椅子?みたいなのを使って無理やり8人乗りにするといった、おそらく中国でも法律違反であろう相乗りが行われました。

3.ロープウェイ

黄山では山頂付近までは、自力でも登れる様ですが、すごい時間を費やさなければならない+登山に慣れていないとのことで、ロープウェイを用いました。
ロープウェイはオーストリア製で6人か8人乗りでした。
感想としては、乗り心地は良く横浜のやつとあまり変わらない感じで快適ではありましたが、高所恐怖症の自分にとっては苦痛でした。
ロープウェイから見える景色は断崖絶壁で、綺麗な山肌が見える一方で奥に遊歩道が見えました。この遊歩道は恐らく廃道だと思いますが、断崖絶壁にも関わらず安全の為の手すりと柵がなく途中で道が途絶えていました。

こんな感じ

山頂に着いたら石畳の遊歩道が広がっていました。ロープウェイの駅に着いたときは付近の遊歩道は石造の柵もあり、安全な登山ができると考えていましたが現実はそこまで甘くありませんでした。
少し歩くと急な階段と断崖絶壁+柵のない遊歩道が待ち構えていました。それに加えて、3月の山は寒い上に石の地面は一部凍っていました。登山をすることを忘れていた自分はDr.Martinの靴を履いていたため、それが足の疲労を加速させたのは紛れも無い事実です。
アップダウンの激しい+柵のない遊歩道を歩いたため少しの恐怖と疲労感で細かいことはあまり記憶にありませんが、どの風景も水墨画の様で美しい風景でした。
あと、3月だったということもあってか大学生の登山客も多かった気がします。(何回か大学生に写真撮ってと言われた。)

水墨画の様な綺麗な風景その1
左奥のレーダードームは黄山気象台
水墨画の様な綺麗な風景その2

3月ということもあって葉には氷が付いていたり、土の上には氷が付着していたりと残雪が目立っていました。

ヘルメットもだが、遊歩道に柵をつけてくれ。あとなんだこの舐め腐った目付きは

4.黄山の日の出

4日目は日の出を見ようという話になり、早起きをして日の出を見に行くことになりました。5時半には日の出スポットに到着していましたが、相当な人だかりが出来ていました。寒い中、友人と石の上に座っていたら優しい老夫婦が後ろからクッションを差し出してくれた。国は違っても人の暖かさを感じる瞬間でした。
一方で肝心の日の出は曇りの影響で見ることは叶いませんでした。(泣)

朝の光景

5.下山

標高が高いこともあって、朝7時の外はすごい霧がかかった状態でした。
地面も湿っていて視界も悪くて何かしらのクリーチャーでも出てくるんじゃ無いかと思いつつ、前日とは違う経路でロープウェイの駅へ向かいました。9時ごろになると霧も晴れて目の前には綺麗な光景が広がっていました。

枝には氷も貼っていた。

ホテルから駅までは1時間ほどの距離でした。帰り道では友人たちと写真を撮ったり、水墨画の様な光景を撮ったり….
麓の駅に着いたら、域と同じ経路で白タクを使い黄山北站の近くのホテルで前日に預かってもらっていたスーツケースと食事をとりました。

お店の宣伝がてら

レストランで食事と高鉄までの時間潰しをして、高鉄の駅へと向かいました。
その駅で高鉄を待つ列で人生で初めて割り込みを経験しましたが、
気の短い自分+友人が黙っている訳もなく「stay in line」と言ってジェスチャーでなんとか最後尾に並ばせることに成功しました。
黄山北站から南昌までの高鉄は結構な人数が乗っていた。別に乗車マナーで機になることはなかったし、スーツケースを棚に置く際に持ち上げるのを手伝ってくれる人もいました。
高鉄では何をしていたかというとガンニバルを見て寝いました。
南昌に着くと夕方になっていて少し早めの食事を食べましたが、何とも知らずに食べていた肉がカエルの肉でした。結構美味しかったです。(肉付きがバイオハザードのリッカーに似ていた)
夕飯を食べてすぐに駅へと向かいました。というのもこの日の夜の寝台列車で南昌から北京に向かうのですが、列車に乗るまでが大変でした。
というのも、全人代の開催時期と重なっていたため、2回も金属探知機などの安全検査を行わなければなりませんでした。
友人曰くこの時期の北京へ向かう交通機関の使用者はほぼ例外なく2回安全検査を受けるらしいです。
そのうえ、2回目の安全検査では検査官がスーツケースを開けて目視で中身を確認していました。特に変なものを持っている訳ではなかったことから、安全検査は比較的早く終わりました。
そして、寝台列車で北京へと向かいました。
寝台列車については下の記事もどうぞ↓↓↓


6.最後に

今回の記事は文末表現を敬体にして書きましたが、少し書きずらかったため、次回以降は文末表現を前回と同じ常体に戻そうと考えます。
最近私生活が忙しすぎて更新が遅くなりごめんなさい。
あと是非他の記事も読んでくださると僕が喜びます。


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小池
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