馬鹿の知
一年前くらいに「馬鹿の知」というテーマでブログを書きました。
だいぶ尖っていた時期だったので、「いやもっと言葉選べよww」と自分でも思うんですが、考えていることは概ね変わっていないです。
(SHIROBAKOが風評被害に遭っていたら本当に申し訳ない…ウマ箱2全巻買うから赦してほしい)
みんな”馬鹿”って言われないように必死だけど、そのプライドのために擦り減らしてるエネルギー勿体ないよなあ、と思うのです。もっと開き直ろうぜ!!と思うのです。
※ただ、一般で言われている”馬鹿”とは若干ニュアンス違うかも…(予防線
この「馬鹿の知」について、心理学とか色んな本を読んで、思うところがどんどん増えてきたので、深堀してみたいと思います~。(今回はしっかりめにオブラートに包みたい(願望
みんな馬鹿で専門家
まずブログで書いた「馬鹿の知」について、さらっとまとめると。。。
みんな馬鹿なのだ。ただ、他人への尊敬の念は忘れてはいけない。
これだけです。つらつら長文を書いてましたがw
みんな馬鹿なのは、本当の意味でなんでも知ってて、なんでも出来る人なんて存在しえないからです。
話題の大谷翔平は野球の神様になりつつありますが、サッカーの神様にはなれないですよね?(いったい何刀流になんねん
さすがにオオタニサンも、人間(のはず)なのですから限界があります。
つまりは、どんなに頭の良い人や何かに秀でている人でも、別の分野に関しては馬鹿なのです。ちなみにそういう人に限って、謙虚です。
そして今回深堀りしたい、みんな尊敬すべきなのは、
それぞれが「自分という人間の専門家」だからです。
各分野、各スポーツ、各学問の専門家は分かりやすいですが、忘れがちなのが…自分のことを一番知っているのはあなたなのです。
(あなた=これを読んでいる人を指してます)
誰も、あなたのことを全て知ることはできない。
あらゆる有能な科学者が、どんな最新鋭の技術を持ってしても、世界の名だたるテック企業が個人情報を奪いに来ようが、100%純度で、あなたの考えや価値を引き出すことはできないのです。
つまり、あなたを幸せにすることができるのは、あなたしかいない。
あなたが何をしたらされたら喜ぶのか、あるいは悲しむのか、憤るのか、
100%知り得るのは自分しかいない。
でも、自分を知らない人が多い。
そして、多くの人が自分のことすら知らないのを自覚できないでいる。
更には、「調べれば何でも出てくる」と言って、何でも知っている気になっている人が増えています。ここに問題があると思ってます。(というかネットに載ってる情報って世界のあらゆる情報の数%に過ぎないんじゃないかw
だからまず、ちゃんと自分のことを知り、他人の事(あらゆる分野)は100%知りえないと踏まえた上で、謙虚に人と接することが出来るようになれば、もっと人生が上手くいくと思うんですね。そしてこれは「無知の知」ひいては「馬鹿の知」を自覚してなければ出来ない姿勢と考えています。
あと、完璧を求め過ぎなのも良くないですね。「こうじゃないとダメだ!!」「こうあればよかったのに…!」「なんで俺だけこうなんだよ…。」
こんなただでさえコロナ禍でゆとりない世の中で、誰が「完璧じゃないといけない」って言ったんでしょう?
ここで1つ質問を投げかけたいと思います。
「完璧な人って愛せますか?」
私は、欠点があるからこそ愛せるのだと思います。そこが人間たらしめている部分でもあると思っています。
ただ、欠点があることを、自覚することが大事だと言っています。
欠点はあっても良い。でも無視しちゃだめ。それだけです。
愛すべき馬鹿ばっかなのです。そう考えれば気は楽になるよ。。
(既得権益に頬ずりしてる老害たちは許せないけどネ!!><)
蛇足
補足という名の蛇足。ちょっとだけTwitterを見てほしい。
とあるツイートに対して、とあるインフルエンサーが反応してくれたのだが、それがネガティブな反応だった。
すると、インフルエンサーに便乗するようにして、知らない人たち【インフルエンサーを支持する人達(中にはそうでない人もいました)】が意見を述べ始めました。気にしないようにしていても、気になるので見てしまって傷ついてしまいました。
幸い、いわゆる荒らしのような迷惑には至りませんでしたが、精神的にはちょっとしんどいものがありました。
「ちょっと茶々入れただけでこんななるなんてSNS怖いわぁ~」なんて思いながら、「でも、Twitterってそういうところちゃうんか」…とか思いながらモヤモヤしながらの、前述ツイートでした。
ただ、
そしてたった1ツイートで人を判断してしまう人々に対して、寂しさや虚しさを感じる。
とか言っておきながら、結局自分も1ツイート(少ない文章)から人を判断してしまっている自分に気づいてしまって。
「あ"ー、俺も馬鹿やんかぁ。」と思いました。
今度は自分に対して寂しさや虚しさを感じました。
でも、前述の「馬鹿の知」を自覚していれば、必要以上に自分を責めなくても良いんです。
自分を責める人が他人を責めるんです。
自分も他人も責めなくて良いんです。
だからこれを読んでいるあなたも、
馬鹿らしく、愛しく、潔く、生きていきましょう。