かつての川を歩く@世田谷区北沢川緑道
以前、ウルトラマン商店街にある円谷プロにちなんだデザインマンホール蓋を紹介した。
マンホール蓋の写真を蒐集している御仁にとっては、世田谷区のデザインマンホール蓋として、既知のことであったと思う。
しかし、世田谷区のデザインマンホール蓋はこれだけではない。
自分の知っている範囲で、北沢川緑道のマンホールを紹介しよう。
こちらはあまり知られてはいないのではなかろうか。
実に可愛らしい蛍とメダカ(?たぶん)がデザインされたマンホール蓋である。
これが北沢川緑道には複数枚ある。どれも比較的状態が良い。中には「合流」との文字が読める物もあった。
今は緑道として整備されている北沢川であるが、かつてここは蛍やメダカが棲む清流であったのだろう‥‥と、昔の情景を妄想する。
閑話休題。マンホール蓋ネタだけで北沢川緑道を終わらせてはいけない。まったくもって惜しい。北沢川緑道を例に、暗渠化された川――緑道の散策について掘り下げてみる。
世田谷区ホームページに区内の緑道が網羅されている。
そちらが一番正確と思われるので「北沢川緑道」のページをリンクしておく。
現地を歩いての散策では、北沢川緑道に付随する「代沢せせらぎ公園」――淡島交差点から梅ヶ丘方向に少し入ったところにある――に詳細な案内板が準備されているので、これをチェックすべし。
〝ふれあいの水辺〟〝周辺のみどり〟〝北沢川文学の小路〟と案内文があり、この裏に「北沢川文化遺産保存の会」の労作『下北沢文士村文化地図』がある。
そもそも「代沢せせらぎ公園」の〝せせらぎ〟という言葉に、過去の清流への憧憬がこめられている。
ぶらついたこの日、公園からから近いところに横光利一、三好達治の文学顕彰碑を見つけ、写真に収めた。
地図によると坂口安吾文学碑もあったはずだが、見逃してしまった。
こちらの文化地図は世田谷区公認ということであろう、世田谷区ホームページに最新版がUpされている。
pdf2ページ目に、参考文献として柳田邦夫さんの「ダイタラ坊の足跡」が転載されている。これがすごぶる面白い。ロマンを感じる。
柳田邦夫さんは現在にのこる伝承から、はるかなる過去を思考する。
江戸・東京は諸国から人々が入り込み近世初めて開けた原野であろうに、所どころの郊外に巨人伝説のような物語が伝承されている。『自分たちはこれを単なる不思議として驚いてしまわずに、今すこし、しんみりと考へて見たいと思っている。』と結んでいる。
ダイタラ坊=ダイダラボッチの足あとを辿ってみたくなった。
そうそう、世田谷100景の碑も発見した。
「⑦北沢川緑道桜並木と代沢の桜祭り」とあった。
これも変わりゆく東京の一面をかいまみる、ひとつの切り口となりえる。
世田谷100景についても世田谷区ホームページに詳しい。
――このような感じで、緑道散歩、暗渠化されてしまったかつての川を歩く、というのは東京散歩定番メニューのひとつである。
北沢川は目黒川の支流のひとつだが、支流は他に烏山川、蛇崩川がある。いずれの川も今は暗渠化され、その上は緑道となっている。
人々の生活は川とともにあることは疑いない。
その一方で、東京は(〝東京〟とよばれるずっと以前から)水害との戦いを強いられてきた町だ。
ここ最近、日本各所で、降雨による水害被害がニュースとなっている。川が暗渠化されてしまって、町の排水能力は大丈夫なの? と、心配になる。
東京都建設局に河川整備事業についてまとめたWebページがあるので紹介しておく。主だった河川の複数ポイントについて、水位がモニタリングできるようになっている。
目黒川流域の整備状況についてもまとめられている。
計画としては「目黒川では、1時間あたり 75mm 規模の降雨に対応するため調節池の整備を実施する。」としていて、北沢川についても環状七号線宮前橋までの上流で容量約132,000m3の調整池を整備予定とのこと。
暗渠化されているので、地下埋設型の調整池なるのかと思う。
「1時間75mmの整備を行うことで、過去に都内に水害をもたらした様々なタイプの降雨(水害記録の残っている113降雨を対象)の大半で、溢水が解消されることが確認されています。」――だそうだ。
暗渠化されたかつての川を歩く‥‥過去の東京に想いをはせる緑道散歩ではあるが、歩いてゆくそのスニーカーの下で斯様な治水事業が進められている。
これは大自然に対峙してあらがい、人が力強く生きていこうとしている証にちがいない。
現在から未来を夢想しつつ、柳田邦夫さんの言葉を借りてみる。
――今すこし、しんみりと考へて――、かつての川を歩こう。
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