駆け足の20代。ためらいの30代。
最近、仕事のことで悩んでばかりいる。
悩んだり躊躇したり遠慮したり、その場に穴が開くんじゃないかってくらい足踏みしている気がする。進んでいない。その場足踏みで地面に食い込んできている気さえする。とりあえず早く今の場所から動かないと、地面に埋まって動けなくなってしまいそうだ。
遠慮している時間は割ともったいない時間だったりする
わたしの好きなある漫才師の方がブログで書いていて、本当にその通りだと思って少し胸が痛くなった。一つの場所から動かずに悩んだりためらったり遠慮したりしているのはあまり意味がない。考えているだけでは何も無いのと同じだ。
”これだ”と思ってやってきた好きな仕事。でも今、先が見えない。20代の頃は「好き」が全てで、「やりたい」が全てで、その先のことなんて考えていなかった。将来的にどうなりたいかなんて何も考えていなくて、『今、やりたいからこれをやる。とにかく全力で』っていうスタイルが周りの人に気に入ってもらえて、それでここまで続いてきた。
最近になってやっと分かったけど、そのスタイルが快く受け入れられて無条件に助けてもらえるのは【若い時】限定だ。30代になった今、自分が何を求めていてどういう風になりたいのかを明確に発信出来なければ、見える化しなければ人は助けてくれないし、離れていってしまう。20代の駆け出しの頃に年上の人たちが助けてくれたのは、わたしにたくさんの”経験”と”材料”を提供するためだったのかなと、今になって思う。頂いた材料たちから自分で自分の未来を作っていくのは、他でもなくわたし自身だ。
そろそろ削る作業の時かもしれない
前述の通りわたしは周りの人たちに恵まれてたくさんの”材料”をもらってきた。もらった材料を全部取っておいたせいで、たぶん今、パンパンになっている。あれもやりたい、これも楽しそう、でも人生は取捨選択の連続だ。何かを得るためには何かを捨てなくちゃならない。わたしがこれから何かを大事にして、何かをやっていきたいのであれば、今持っている別の何かは手放す必要もあると思う。少しずつ削っていって、素敵な形の物を作っていきたい。
この「削る」という作業、今のわたしに必要なものとしてぴったりな言葉だと思っている。元々、小学生の頃も図工で彫刻刀を使うのが苦手だった。削りすぎて残念な姿になってしまうのを極端に恐れて、全然削れないのだ。
でもだからと言って削らなければ形も出来上がらないし、ビビってほんの少ししか削らなければ、何だか冴えない作品しか作れない。対象物が「彫刻刀と木」から「自分の時間・労力・人生」に変わったけれど、今、同じジレンマと向き合っている。人生とは美術かもしれない。
そんなことを考えながら、今とにかく動かなければこのまま近いうちに止まって二度と動き出せなくなるような気がしたので、行動を起こし始めました。小さなことからコツコツと。この美術作品はわたしが責任を持って素敵なものにしていきます。