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「映画館」と「インドア」と「流行」

もやりと繋がっている(ような気がする)この三つの単語。もやり。明確にどう繋がっているのか、というと意外と言葉にできない。くせ者は「映画館」という単語である。映画“館”であることの意味はただの私のこだわりであるから、これは私が解決しなければならない問題なのだ。などと言ってみる。


Googleを開いてみれば、映画はインドア系趣味の筆頭としていくつも記事が出てくる。しかしそいつは家で映画を見ることを言っている。映画館とは切り離された「映画鑑賞」という趣味だから、私のものとはちょっと違う。

次に目につくのはインドア派におすすめのデートスポットとしての映画館だ。「出不精の彼氏を外に連れ出す映画館デート」。ほお。この記事の読者としては私は当てはまらないけれど、なかなか私の意図に合う。そもそも私はどこに出しても恥ずかしくない、自他ともに認める出不精である。それが嬉嬉として玄関を開けたとすれば、だいたい映画館に行くのだと思って間違いない。映画館という空間はアウトドアに存在しながらインドアに位置している。席は決められていて人間同士の距離は保たれているし、2時間座っているだけで異世界に飛べる。暗さもちょうど良くて室温も最適。むしろ映画館に住みたい。


「流行」の話に移そう。「映画は流行が去った頃に公開される」と言われるけれど、どうだろう。むしろ映画発端の流行もある。挿入歌とか、ロケ地とか。去りつつあった流行が引き伸ばされることもあるはず。

「映画館」はそれをちゃんとリアルタイムで感じられる。家で見るとなるとネット配信や円盤の発売を待たなくてはならないからどうしても遅れる。それに加え、個人的な楽しみの一つの人間観察ができる。もちろん人間観察などどこでもできるけれど、映画館では九分九厘楽しそうな顔が見られるから好きだ。人々の動きやどんな層にどんな映画が関心を持たれているかがわかる。これも一つ、流行サーチである。平日の昼間に行けば奥様方が嬉しそうに上映を待ち、往年から続くシリーズものは親子連れ、サスペンス映画上映の前に大量のポップコーンをスタンバイするおじさんがいて、恋愛映画を見た老夫婦が幸せそうに出てくる。そういった人々を見て、ついでにショートムービーを見せてもらったような気持ちになる。



「映画館」と「インドア」と「流行」。もやりと繋がったこれらを、私が文字にして繋げるのならば、インドアでも足を運びたくなる映画館には世間の流行や人間の幸せが詰まっている、という事になる。少し大袈裟に書いたが、出不精にはラッキーなスポットである。家に居たいけど、家に居ただけでは得られないものが得られる。それが映画館だ。

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