後でやろうの恐怖
こんばんは
今日は繰り越さないように早めに!
だんだん内容がユーモア好きなのか?って感じになってきちゃった笑
まぁ、たぶんそういうのを書きたいお年頃なのだろう
許してやって、気ままに書いてみる
後でやろう
この言葉ほどの誘惑があるだろうか?
勉強や面倒臭いことは、この魔法の言葉とともに後回しになる
僕は結構誘惑に弱いから、だいぶいろんなものが後回しになる
じゃあ、何をしているか?
後でやろうと思いながら、手を伸ばすのは、YouTubeや漫画
いや、楽しんだよね、ほんと
半年くらい前に、この泥沼に陥り、
忙しいはずなのに月にYouTubeのシリーズ動画を100本近く見て、加えて漫画を読み、寝るに寝る生活をした
今、振り返ってみて、言えるのは無駄な時間を過ごしたなぁとも感じる。当時はほとんど進めたいものが進まず自己嫌悪に陥った
それと同時に、今はどこか自分を責める気にはならない
まぁ、そういう時期だったんだろうなぁって思ったら、良い時期だった
結構遊び倒した気がする。おかげで、今はその時間を減らす努力ができる。満足したのだ
まだ漫画は読むし、YouTubeも見るが、、、(まだやめてないんかい笑)
おっとっと、話がすぐ逸れる
戻すと、つい面倒だと思うことは置いといて、楽なもの、楽しいものに行ってしまう
だから、「後でやろう」この言葉は本当に恐ろしいのだ
本当に恐ろしいこと
本当に恐ろしいことは、この後であろうが癖になること
癖になることの何が恐ろしいのか?
僕も今これを書いていて、気づいた
本当の価値が見えなくなることだ
面倒だと思うものの中には、たくさんの大事なものが詰まっている
勉強もその1つだと思う。え、経験あるよね笑
ただ、後でやろうを繰り返していると、だんだん本当はやるはずだったものの価値がなくなる
これは、認知的不協和の理論という心理学からも言える。
認知的不協和というのは、簡単に言えば、
自分の中で、今起きていることと考えていることに矛盾が生じたときに不快感を感じること。それによって、目の前のものの価値を変えてしまうこと
(詳しくはぜひちゃんと調べてみてね)
ダメだと思いつつ、ダイエット中に甘いものを食べてしまうのはこれよ
そう、「後でやろう」にもこれが含まれるのだ
やるべきもの、大事だと思いつつ、やらない
ここで矛盾が生じて、自分の中で価値を変える
脱価値という現象が起こるのだが、必要だったものの価値を見失う
1回や2回ならまだいい、これが積み重なれば人間は忘れたり見なくなる
こうなると大変、
本当に大切なことややるべきことが思いつかなくなる
そうすると、せっかく意識改革をして、やることが終わったら休もう!と思っても、その”やること”がなくなってしまうから、すぐに休んでしまう
これは、ここまでは理論化されているわけでも、何か証明されているわけでもないが、そうだろう
恐怖を断ち切る
だからこそ、目を覚そうと思った
後でやろうと思ったことに時間を投資すること
ちょっとやってみること(意外と簡単だったり早く終わったり)
あとでやろうと思ったことに全力を出してみる
これは意外と気持ちがいいものなのだよ
コロナで生活も変化した
今一度、自分の生活を見直すときにきている
習慣が今を作るからこそ、今の自分を作っているのは過去の自分
そんで、未来の自分はそんな簡単にはできない
だから、毎日を大切にしながら、ちりつもでいきたい
ぜひ、今一度見直してみて、気持ちがいい生活を送る
またね、おやすみ