生きている言葉だけがWさんに伝わる
視覚障害をもつWさんの印象は、おだやか、船越桂の楠の彫刻から連想する清楚、スクッとした立ち姿。スタッフのTさんが、「ステキなジャケットですね。べっ甲柄の眼鏡に合っています。」といってWさんに私を紹介してくれる。視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップの参加者は8人。W「私は一人では展示室まで行けないので、どなたか一緒にいっていただけませんか。」そっと触れることが求められるデリケートな距離感にドキドキし、それとともにWさんに高い自立性を感じた。ここは東京都写真美術館3階の「シンクロニティ」(~11.26(日))の展示会場である。スタッフでもあるのWさんとTさん、参加者が組み写真を囲んでいる。
【五感を総動員して写真を感じる】
W「何枚ありますか?大きさは?」18枚ほど。2段になっていて、横70㎝、縦50㎝ほど。白黒写真です。W「何が写っているか、一枚一枚説明していただけますか?」路地裏の商店街・・人がほとんど写っていない・・重なり合った袖看板・・電柱と電線・・積みあがっている放置自転車、その隙間から八百屋が見える・・遊園地の入口・・どの写真も視界が抜けていない・・・W「全体の印象はいかがですか?」昭和の香り、ゴチャゴチャしたエネルギー、安い飲み屋、床屋、洋服屋・・など日常生活の積層・・・W「さみしい感じがしたのですが、エネルギーも感じるのですね。」撮影は1995年の東京周辺。バブル経済が崩壊した時代、さびれているけど庶民の生活のエネルギーを感じます・・・。目がみえないWさんがいて、全感覚を総動員して感じたものを言葉にしようとしている私たちがいる。
【生きている言葉だけがWさんに伝わる】
知識や写真への理解度は端に寄せられる。頭で考えた言葉は滑っていく。そこで、その時、写真から感じて発した「生きている」言葉に、みんなが「そうだ」と肯く。そして、それだけが、視界障害をもつWさんに伝わっていく。歳や経験は意味をなくし、参加者が対等になっていく。Wさんの存在がそうさせる。