ニキ2

ニキ・ド・サンファル展、悪意の浄化と最晩年にたどり着いた輝く仏陀

大きくてツヤツヤし、ふっくらとしたポリエステルの女性像ナナで評価されているニキ・ド・サンファル(1930〜2002)の展覧会を国立新美術館でみた。本物の作品をみて感じるのは、ニキの人生の転機は、25歳、35歳、45歳と10年ごとに来たのでは、という点だ。

23歳で強い神経衰弱に悩まされ、25歳でジャン・ティンゲリーにであい芸術家を目指した。これがはじめの転機。31才のとき、銃でカンバスや作品を撃ち抜くという射撃絵画でデビューした。絵の具の入った袋をカンバスに塗りこめてそれを銃で撃ちぬくと弾痕と血のように流れ出た絵の具が残る。センセーショナルなパフォーマンスは、その後の作品の展開をみると彼女の中に身体化してたまった膿みを浄化する行為なのだと思えてくる。先の神経衰弱もニキの強い感受性と世の中のあらゆる悪意や偏見を含めて身体化していく過程で起こったのではないか。

この射撃絵画は1961年と62年の2年間でぷっつりとやらなくなったが、そこからニキの作品は、からだじゅうから爬虫類が湧いた魔女や、地獄の門のような壁から無数の赤ん坊の手や足が突き出てくる。日本のゴジラから着想を得たという作品も様々なおぞましいものでできている。射撃絵画とは表現方法が変わっただけで魔女や娼婦やゴジラたちもニキの身体を通した浄化プロセスだと思えてくる。

35歳のとき、ナナを出現させる。隣のアトリエにいた妊娠した友達の大きくなっていくお腹が直接の着想だといわれている。36才のときストックホルム美術館に巨大なナナ《ホーン》を制作し話題となった。ナナをつくりながら、戯曲をかき、映画を製作し、いままでとは違う創作をしていく。ニキは自らの中の「女性性」が抑圧されていると感じていた。「男性の中の女性性も抑圧されている。」と日本に来たときの映像の中で語っている。おぞましい悪意を直接作品化することは影を潜め、抑圧されても決して縮こまらないをおおらかな女性性をナナによって表そうとした。

45歳から25歳で決意した理想宮殿の構想を始め、50歳で最初の彫刻に着手し、人生の終盤、68歳でタロットガーデンを完成させた。
そしてその年1998年に日本にきた。呼んだのは那須にニキ美術館(1994〜2011)をつくったヨーコ増田静江。日本で大仏に出会い、着想を得て制作したブッダ(1999年)は3.2mあり、キラキラと輝いている。頭と喉と胸と臍と膝に一つずつ異次元へつながる穴のような眼をもって、こちらの頭と喉と胸と臍と膝を見据えている。男性も、女性も、人間も超越した存在としての仏陀だ。
瀬戸内寂聴がニキ・ブッダに会ったときのことを週間新潮に次のように書いたそうだ・・・「アラーキーとふたりでニキ・ブッダの膝元に坐った。静かな瞑想の境地なんて訪れるわけはない。今、見てしまった恐ろしい、この世ならぬ情熱と破壊と、創造のパワーを浴びて、全身は発熱し、心は震えつづけていた。それは拷問と紙一重の喜びの至福の一瞬だった。」

晩年制作したタロットガーデンの彫刻も大仏も、かばや蛇も輝いている。彼女がたどり着いた境地だ。
おぞましさをパワーに変えそして浄化してきたニキは、「わたしはタロットカードの愚者」といいながらも、最後でやっと安堵し光に包まれたのではないか。

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