「何かにぶつかって前に進めないとき、別の道がある」と提示できる社会
孤立の定義:端からみると周りに相談できる人がいるのに、助けを求められない状況。孤立したこどもを支援するNPO法人PIECESの小澤いぶきさんの定義だ。大事にされたことがないこども、無関心や言葉の暴力にさらされてきたこどもたちは、自分を大事にできない、「助けて」といったことがない、深く孤立してしまう。
小澤さんのワークショップで「助けを求められない」感じをトランプゲームで体験した。全体60人余りを8グループに分ける。「声を出してはいけない」。ゲーム大貧民を簡単にしたようなルールを読んで回収。ゲームを始める。エースが一番強く、種類に関係なく前の人よりも大きな数字をだしていく。2回もやればエースがその場を支配して、手札を増やしていけ勝てる、とわかる。そこでチームを入れ替えてゲーム再開。
私が「3」をだしてスタート。途端にすすまない。パスする人が続出。あれ?よく見ると同じ種類のカードしか通用しないようだ。「自分のルールが違っていたのか」と思う。しかもどのカードが一番強いのか、一生懸命ジェスチャーで説明しようとしている人がいるが、さっぱりわからない。どうも9が一番強いと主張しているようだ。「え、そうなの?なぜ?と言いたいけれど、言葉が通じない国にいるようなもどかしさ。」・・・つまり、違ったルールだと気づかずにゲームをしていた、とやっと気が付いた。
フレンドリーな犬の写真をみても、犬に噛まれた経験をもつ人は怖いと思う。家庭の団欒の写真をみても、家族関係によって見え方が違う。それぞれに感じ方のルールが違う。それがわかっていないと「相談されてもさっぱりわからない」。私たちは、孤立させる側に回ってしまう。
小澤さんは、「信頼できる一人の大人」が必要という。感じ方のルールが違うことをわかっていて、その子に寄り添ってじっと耳を傾ける。その大人がつぎにやることは、こどもの病的な面ではなく健康的な面(強み、と表現された)に光をあてて、代替の道を探すこと。「学校にいけない」こどもに対面したとき、学校に行かせることを目的にしない。
多様な価値観と選択肢を提示してリフレーミングする。「学校に行かなくてもいいんだ。」という価値観と選択肢。ビーズが好きな子が、物づくりの場で、いろんな人と出会って、信頼してもいいんだ、という自信がつき、さらにトライできるようになる。料理が好きな子は、学校に行けなくても、料理をみんなにふるまうことで、いろんな人と出会って立ち直っていき、別の道があることを知る。
「何かにぶつかって前に進めないとき、別の道がある」と提示できる社会は、多様性に満ちていて、なんと豊かな社会なんだろう。代替ルートを探しで歩み、それに行き詰まったら、また別のルートを探す。固定的な人生観では決してそのようにはならない。多様な人生の価値観を私自身が提示する側に回りたい。