世界を受信するメディアとしての身体
「オンラインで画面越しだと、こちらの身体感覚が相手に伝わりにくい」と勝手に考えていませんか?
振付家・ダンサー砂連尾 理(ジャレオ オサム)さんのワークショップで、画面越しなのに、相手の身体感覚が、私の身体感覚と共鳴し合う不思議な体験をし、私は考えを変えた。砂連尾さんの言葉「世界を受信するメディアとしての身体」の通り、確かに私の身体が「受信するメディア」になったのを感じたのだ。
ワークショップで画面向こうの女性は赤い折り畳み傘、私は黄色い鉛筆削り器を用意してスタート。私は彼女に指示をして彼女の身体を動かし、折り畳み傘を味わう。
折り畳み傘の持ち手は木製で、小鳥のように細工され、吊り下げ紐が尾っぽのようにピンと立っている。丁寧に触ってもらい「尾っぽ」を下から上にシゴイテもらった。手に載せてポンポンと上げてもらうとその重みを、傘を開いてもたった時、その力のかけ具合でバネの強さを感じ・・・などとしているうちに、雨傘のにおいを感じ、その傘を良く知っているかのように親しみが湧き、リュックから飛び出して、楽しそうに羽を広げている鳥の傘のイメージにつながっていった。
一方彼女は私に指示をして、私の身体を動かして鉛筆削り器を味わう。
彼女が気に入ったのは、鉛筆の削りカスを溜める(上が開いている)透明なプラスチックケース。彼女の指示に従い丁寧に触っていく。自分の身体を通して、彼女がこの透明なプラスチックケースを感じているのが伝わってくる。側面には、丁度いい位置に停まるよう凹凸があり、底面の中心部分には、机に本体を固定する器具に必要な半円筒形のクボミが縦に切られているところを隈なく触る。私はこんなふうに鉛筆削り器は触ることがないので別物みたいだ。わたしの指先が鉛筆の削りカスで次第に黒くなっていき、黒くて滑らかなものを指先に感じた。
ここまで10分。残りの5分で今感じたことを表現する。表現しようとすることで、初めてどう感じていたのか、がわかってくる。楽しそうに羽を広げている鳥の傘のイメージをはっきりと捉え、今しがた削った赤鉛筆で絵にした。画面の向こうの彼女は、鉛筆の芯の削りカスで黒くなった指先を表現していた。
赤い折り畳み傘は、彼女の身体が「受信するメディア」になったことで、発信元である私の身体感覚とつながった。黄色い鉛筆削り器は、同様なことが反対方向で起こっただけではなく、実際に触っている私は、今まで知らなかった鉛筆削り器を受信し、そして新たな愛着を手にした。発信元は鉛筆削り器自身だ。私の身体は、実は二つの発信元―彼女の身体と鉛筆削り器―を「受信するメディア」となっていただけではなく、中継するプラットフォームにもなっていたのだ。