アーティスト園子温の覚悟と表現の過激化
日経(2016/04/27夕刊)のアートセレクト欄で映画監督として園子温をインタビューしている。1961年生。思春期から現在へ、覚悟が深化し、それに呼応して表現が過激化していく。
17歳で家出。「故郷の重力から解放されたかった。」21歳、ぴあフィルムフェスティバルで入選し、審査員の大島渚から「迷ってはいけない。」30歳、「自転車 吐息」を出品したベルリン映画祭。アレクサンドル・ソクーロフらの映画をみて「誰もやっていない自分だけの表現をもとう。」ひそひそ星の脚本をかく(25年後の2016年5月映画化)。30代、路上パフォーマンス「ここから先は右左なし上下なし東京ガガガ」。40歳、「一番めちゃくちゃな脚本でやりたいことをやろう」映画「自殺サークル」を生む。今55歳、「いいとか悪いとかどうでもいい。大事なのは書いて、生きて、表現すること。」
園子温の表現の過激さは覚悟に裏打ちされている。どれだけのことを引き受けようとしているかで、アーティストの表現のレベルが決まる。
今月に公開されるひそひそ星は、時を失ってしまったあとにくる静寂。私たちの最も深いところで眠っている記憶に触れることで、確かに存在していた「とき」を取り戻そうとしているようである。