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レンタル彼女体験記

 この文章は、『青春ヘラ ver.3「虚構と異常」』に収録したものです。完全版は会誌をお買い求めください。

 

 2月28日、僕には2時間だけ彼女がいた。
 1時間で6000円の彼女だった。

 レンタル彼女を頼んでみようと思ったきっかけは単純だった。「前々から気になっていたことを体験できるだけでなく、会誌に書くネタにもなるぞ!」という浅はかな思考からだ。青春ヘラの第三号を「虚構と異常」というテーマにしたはいいものの、何を書こうかまったく考えていなかった僕は、思いついたその日に募集サイトを登録した。

 ところで、僕のような特殊な例は除くとして、一般的にレンタル彼女を利用する人々はいかなる目的でカノジョをレンタルするのだろうか。利用する前から感じていたこの疑問に、利用した後の僕はまだ答えられない。

 結論から言えば、僕は2度とレンタル彼女を利用することはないだろう。(相手をしてくださったカノジョさんの名誉のためにも言うが)それは決してサービスがダメとか、会話が続かないとかの話ではない。ただ、苦労に対して得られる喜びが少なすぎるように感じたのだ。なぜそのような結論に至ったのか。話は2月末から始まる。

 2月24日
 会誌に何を書こうかずっと迷っていたため、咄嗟に思いついた「レンタル彼女体験記」を天啓と錯覚し、とりあえず「レンタル彼女 関西」で検索する。いくつかサイトが出てきたので、とりあえず一番上に出てきた某ページを見てみる。「彼女一覧」を眺めていると、まず驚いたのが「オンライン彼女対応」との文字が並んでいたこと。いつの間にかビデオ通話で恋人体験ができる時代になっていたらしい。授業のブレイクアウトルームで散々苦い思いをしているので、ひとまず選択肢から消す。

 さて、肝心のカノジョさんの選び方なのだが、ひとつだけ譲れない条件が合った。

 それは、年上であること。もっと理想を言えば4歳以上。これにはちゃんとした(?)理由がある。そもそも僕は年上の人が好きなのだけれど、2歳差だと年上というより「先輩」感が強くなってしまう問題がある。以前、負けヒロイン研究会に寄稿した六条御息所に関する文章を引用しよう。

 個人的には、年上は5歳以上の差があると輝きを増すと思うんですよね。2、3歳上だと、年上というより先輩属性が強くなる傾向があり、「お姉さん」というより「お姉さんを装ってるけど実は抜けてるところもある先輩キャラ」として人生を全うしてくれ……という気持ちが強まります。

リレー企画「あなたが愛した負けヒロイン」⑥

 となると必然的に、ターゲットは23歳以上に絞られる。年齢欄を血眼になりながら見つめ、何人かのプロフィールにアクセスしていると、目を惹かれる単語があった。

「水族館が好きです」

 水族館好きに悪い人はいないという持論があるため、この一文は非常に効果的だった。これ以上無目的に探しても埒があかないし、その人に決めることにした。名前を、仮にNさんとしておこう。

 レンタル彼女のサイトはたいてい、カノジョを分けるいくつかのランクが存在している。他にどのようなランクがあるのかは知らないが、Nさんは「レギュラーランク」に属している旨が書かれており、横には1時間6000円の文字が並ぶ。

 正直、「高っ!!!」と思った。予定では2時間の利用だったため、合計12000円、加えて交通費が3000円かかる。もっと言えば、食事代だってこちら持ちだろう。社会人ならまだしも、大学生にとっての15000円+αは死活問題だ。ぶっちゃけこの時点でやる気はなくなっていたのだが、大学生はメインターゲットとして想定していないだろうし、文句は言えない。となると、大学生以上の大人が利用するのが普通なのだろうが、ますます目的が分からなくなってくる。一体、何を求めてレンタルするのだろう。マッチングアプリの方がよっぽど安上がりだ。

 しかし、僕には会誌の原稿を書くという使命があるし、こんな機会でもないとレンタル彼女なんて一生体験しないだろう。話のネタとしては悪くない。腹をくくり連絡することにした。

 カノジョを決めた後の連絡方法は2種類ある。メールかLINE、いずれかの方法でまずカノジョとコミュニケーションを取ることが求められる。この時代にメールでやりとりするのもエモくて良いなと思ったが、偽物の彼女にエモくなっても虚しいだけなので普通にLINEを選んだ。QRコードから直通のLINEに飛べるので、追加して打ち合わせをする。

 返事は一時間以内に返ってきた。そこで日程、待ち合わせ場所、デートの内容、互いの軽い自己紹介などが行われる。

 最大の関門はデートの場所だが、ここでさっきの作戦が活きてくる。水族館に行けばいいのだ。趣味の欄に好きな場所を書いておくと、行き先を選ぶハードルが下がる。もしやそういう作戦なのだろうか。

『水族館が好きとのことでしたので、海遊館とかいかがですか?』
『プロフィール読んで頂いたんですね! ありがとうございます! 海遊館とってもいいですね、どこで待ち合わせしましょう? 』

 大阪の水族館といえば海遊館。巨大なジンベイザメの水槽が有名なデートスポットだ。実は2ヶ月ほど前に友達と海遊館に行っていたのだが、だからこそ敢えて行くことにした。連れ添う相手が違うと感情にいかなる変化が生じるのか、実験も兼ねてみた。


 2月28日

 デートの日は意外と早く来た。僕は暇な春休みを送っていたが先方は3月が忙しいらしく、直近の方が有り難いとのことだったので、連絡して4日後に会うことになった。正直、早すぎる。いくらなんでも心の準備ができていない。いや、いくら先でも結果は変わらなかったのだろうけれど。

 ともかく、自宅から電車に乗って僕は海遊館に向かった。集合時間は14時。午前中は大学同期と会っていたのだが、よく考えたら昼飯は寿司を食べた。縁起が悪い。けれど、このあとの話のネタくらいにはなるかもしれない。

 梅田から地下鉄で大阪港まで乗り継ぐ。今まで数々の修羅場をくぐってきた僕にとっては何のことはないと思っていたが、駅が近づくにつれ確実に緊張していた。まったく、どうして金を払って緊張しなければならないのか。めちゃくちゃ帰りたくなってきた。

 大阪港に降り立ち、空気が明らかにいつもと違うことに気がつく。これからのことを考えるだけで、世界の見え方がこんなにも変わるのかと驚いた。心なしか、いつもより視界が明るい。

 待ち合わせは改札前だった。LINEで服装の特徴を聞いていたので、辺りを見回すとすぐに見つかった。如何とも形容し難いのだが、ファッションはなんだか今時の人だな~という印象だった。グレーのベレー帽(?)を被っていて、黒いスカートを履いていた。難波と梅田を足して2で割った感じ。素直に、すごくかわいい人だと思った。

 あまりに緊張しすぎて初動で何を喋ったのか、とんと覚えていない。おそらく、「○○さんですか?」と切り出して当たり障りのない自己紹介をした後、すぐにお金を払った気がする。利用規約に、「なるべく早い段階で料金を手渡ししてください。カノジョ側からはあまり催促させたくありません。開始後、30分以内でお願いします」みたいなことが書かれていたので、忘れないうちに15000円を手渡しした。バイト半月分の給料が2時間分の料金と交通費に溶けた瞬間だった。感傷マゾ的には後払い、つまり別れ際に支払う方がポイント高いけどな、と思いつつも二人で海遊館へ向かった。

 くだらないことばかり気にしていた。どれくらいのスピードで歩くべきとか、手を繋ぐオプションがあったとか、いくらなんでもそれは早いとか。吐きそうだったし、胃が痛かった。

 でも、館内に入ると案外楽になった(ちなみに、入館料もこちらが支払うつもりだったが、なぜかカノジョに阻まれた。学生証を出したのがまずかったのかも。5歳上だし)。水族館は不思議な力がある。思えば、アニメでも小説でも、水族館に行くシーンは何か深遠な意味を含む場合が多い。アオのハコとか、俺ガイルとか、うる星やつらとか。水族館に行くだけでラムと無邪鬼が並んでるシーンを思い浮かべている時点で色々とダメな気がする。このままだと、危うく押井守の話をしてしまいかねない。

『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』
©高橋/小学館・キティ・フジテレビ

 流石に相手もプロなのか、会話が途切れることはなかった。それどころか、かなり盛り上がった(と思いたい)。今思い出してみると、やはり会話のコツは聞き手に回ることだと実感する。カノジョさんは僕の出身から職業までありとあらゆる部分を掘って話を膨らませてくれる。出身を尋ねて修学旅行の話題に繋がるところとか、美しすぎるテンプレで笑いそうになってしまった。きっと、この人はこれを何回と繰り返していて、その度に違った対応方法で会話を続けてきたのだろう。コミュニケーション能力で悩んでいる人はレンタル恋人をやってみると効果があるのかもしれない。話し手としても聞き手としても非常に参考になった。

 共に歩いて順に水槽を見ていく。カノジョさんは毎回の水槽で魚に対するコメントを残していく。すごかったのが、明らかに気持ちの悪い見た目をした生物に対しても決して否定的なコメントをしていなかったこと。そういう時は、「キモカワイイ」や「これは……すごいね」などと視点を変えてコメントをする。楽しい雰囲気にネガティブな意見を挟むと微妙な空気になることを分かっているのだろう。感嘆するしかなかった。

 ところで、こんなにも冷静で分析的な書き方をしているのは、僕がこれを執筆しているのが入稿ギリギリの5月だからだ。あれからかなりの時間が経っている。当然、デートの最中にこんなことは考えていない。考える余裕がないと言う方が正しい。時が過ぎれば、思い出は美化されていく。今の僕には、レンタル彼女は純粋で可憐な物語だったように思える。

 ある程度、心理的な距離が縮まった頃に、僕らはメインの水槽にたどり着く。海遊館名物、クソデカジンベイザメだ。カノジョさんの方が最後にいつ訪れたのかは知らないが、まるで初めて目にするかのように「わぁっ……!」とリアクションしていた。それが演技かどうか訝しむのは野暮だ。僕は2ヶ月前にも来たことなんておくびにも出さずに、同じく「ワ、ワァ……」と言っておいた。ちいかわだった。

クソデカジンベイザメ。海遊館名物。


 海遊館は構造的にメインの水槽をぐるぐる廻るようになっている。その都度、途中で分岐して別の生物の水槽を見る感じだ。クラゲの水槽を見ていた時、カノジョが待ちかねていたように声をかけてくる。静かな館内に合わせたのか、その声は小さめだった。

「あの、よかったら、手とか、繋ぎます?」

「うわ~言われてしまった~」と思った。きっと初めから気を遣われていたのだろう。マジで申し訳なくなる。おそらくこういうのはこちら側から言うべきだし、その気がないのなら切なそうな顔なんてするべきじゃなかったのだ。

 ともかく、僕がそんな誘い方をされて断れるはずもなく、それ以降、僕の右手は自由がきかなくなっていた。異性と手を繋ぐことなんて初めてではないはずなのに、こんなにも緊張するものだったのだろうか。しまいには、自分を落ち着かせるために「これはレンタル彼女だから……」と言い聞かせていた。虚構でもいいから夢を見たい人向けのサービスでこんなことを考え始めたら本末転倒だ。この世のカップル全員に敬意を払う。君たち、こんな心臓に悪いことを経て結ばれてきたんだね。

 自分の手汗が大丈夫かとか、心音が伝わってないかとか、あまりにもありきたりなことを悩んでいた。一方カノジョさんは平然としていて、流石だなと思った。カノジョにとっては何でもない1人の客で、明日には忘れられているのだろうけれど、僕の記憶にはかなりの期間こびりつくだろう。そうであって欲しかった。

 そういえば途中、どうして水族館が好きなのか訊いたことがあった。曰く、「海の中に入ってる感じがする」からだそうだ。その感覚はよく分かる。進むにつれて深海に落ちていく感じがある。僕も死ぬときは溺れて死にたい。水族館に行くと、なぜかいつも『深海少女』が頭で流れる。

 カノジョが隣にいるだけで世界が輝いて見えるというのは、ある意味正しいのだろう。水槽のきらめきもいつもより増していた。レンタル彼女とは恋愛の表層、見栄えのいい部分だけを手軽に摂取する手段なのだから当然だ。人が「恋人が欲しい」と言う場合、大抵は恋愛によってもたらされる甘い蜜ばかり想定しているが、本当の恋愛とは「可食部の少ない果実」のようなもので、奥にある甘い部分にありつくためには膨大な手間と時間を要する。それが面倒で避けようとする時点で僕は恋愛に向いていないのだけれど、ともかく果実だけを売り出しているのがレンタル彼女なのだ。

 そう考えると、レンタル彼女も意外に理にかなった商売なのかもしれない。孤独を紛らすサービスとしては最高だろう。恋愛中毒になっている人は一度レンタルしてみて、自らを省みると効果があるかもしれない。
 約1時間ちょっとですべての水槽を見終えた。まだ時間が残っていたので隣接するカフェでお茶をする。海が望める、好立地のカフェだった。いつの間にか繋いだ手を離していた。


くらげ。かわいい~


 お腹は空いていなかったが、喉が異様に乾いていた。はじめはコーヒーの予定だったが、気付けばクリームソーダを頼んでいた。カノジョさんも同じものを注文した。

 魚を見ながらの水族館デートとは打って変わり、カフェでは当社比2倍の会話をこなさなければならない。しかも対面で。慣れてきたとはいえ辛かった。

 いや、この段階まで来たら、会話が成功するかなんて些細な問題なのだ。この時考えていたのは、あと40分ほどでデートが終了すること、時間になれば僕とこの人はまったくの赤の他人に戻るということ。それを意識すると、びっくりするほど無気力になった。

 通常、誰かと会話する行為は、時間を重ねて関係が構築されていく点で有意義であるし、それが対人関係の楽しさなのだろう。

 しかし、僕が相対しているのはレンタル彼女、要は虚構なのだ。ここで積み上げた会話も、話した身の上も、時間が経てばすべて無に帰する。とんでもなく虚しくなった。会話を積み上げても無意味だ、もうすぐ全部崩れてなくなると思うと、僕はどうして会話しなければならないのか分からなくなってしまった。むしろ、下手に仲良くなってしまえば、より悲しみが増すような気すらした。だからこそ人は気に入ったカノジョをリピートしたり時間を延長したりするのだろう。けれど、それはステロイドのようなもので、痛みを忘れられるのも一時的な作用でしかない。傷が浅いうちに退散するのが吉だろう。僕はそれ以上傷つかぬよう、かと言って先方に失礼のないよう慎重に立ち回った。具体的に言うと、僕の話をあまりしないようにして、カノジョに対する質問を増やした。普段からあまり人とは話さないので、自分の身の上話をするだけでどうも心を許していまいそうになる。話を聞いてもらえるだけで受け入れてもらえたと錯覚してしまう。心だけ開いて埋めるものがなければ、あとにはただ虚しさが残るだけだ。

 クリームソーダは味がしなかった。謎の汗をかいていた。かくして、無事に2時間が経った。僕は憔悴しきっていた。魂が抜かれたみたいだった。

 今回分かったのは、途中で夢から覚めてしまう僕のような人間は、絶対にレンタル彼女に向いていない。いつの間にか自分をメタ視する癖がついてしまって、まるで自分の人生でない気がしてくる。これは非常に良くない。

 けれど、レンタル彼女という文化自体は、とても面白かったし楽しかった。なにより、一瞬だけでも夢が見られたこと、反動に鈍感ならばあれほど幸福な経験はない。

 途中まで同じ電車に乗った。梅田で降りて「ありがとうございました」と手を振ると、「またね」と返される。さよならを言える別れは幸せだ。確証のない約束をしてしまったのはこれで何度目だろうか。

 喪失感と虚無感を抱えたまま、帰りにスーパーのレトルトカレーを買った。とても辛くて悲しいレンタル彼女だったけれど、別れた後、去って行くカノジョの後ろ姿を見つめながら、「あの笑顔を、今度は別の誰かに向けるんだな」と思うと少し気持ちよかった。そういう、冬の終わりだった。

味がしなかったクリームソーダ


 青春ヘラ ver.3のテーマは「虚構と異常」だ。この体験記が実体験かどうか、あなたが知る術はない。ただ、真実だと信じたい人にとってはもっともらしい体験記として映る。きっと、虚構と現実の区別なんて、その程度のくだらないものだ。


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