目的地があったほうが遭難しない。
2年くらい前、こんな内容の投稿を自身のblogにしました。
今の気持ちと照らし合わせてどうなんだろう?という思いで、書き直してみます。
国内外、たくさんの作家や詩人が、「人生は旅」とか、人生は「航海」であると言ってる。
僕も、それを、いつも意識しているつもりでした。
北海道で生まれ、10年ほど大自然の中で幼少期を過ごし、そこは雪の多い地域で、毎日雪かきをしないと、玄関から外に出れないくらいの豪雪地帯。スキーをする人々には世界一の雪質とも言われているようです。自分はその雪山の中で、自然と遊んでいました。
親の転勤で東北の仙台市へ。青春時代を杜の都で暮らしました。
そして今、広島で20年以上暮らしています。
なんだか、人生は旅や航海のはずだったのに、なんだか、広島に落ち着いてしまった。と、この何年間かモヤモヤ考えていました。
「暮らす」と「旅する」は、対義語ではないけれど、僕の中では日常と非日常の対局に近いのです。
だから、日々の暮らしに落ち着いてしまうと、とたんに毎日は退屈に感じてしまう。
ただ、ちょっとしたきっかけで考え方は変わるものですね。
「自分の望む、未来の自分を考えてみた。」
もっともっと歳をとって、周りから「老後」と呼ばれるような歳になったら、北海道の故郷に戻って、若者が集うゲストハウスをはじめよう。
世界中から集まるバックパッカーに料理と酒を提供して、世界中の面白い旅の話を聞かせてもらおう。
めっちゃイケてる「ゲストハウスオーナー&ガイドのジジイ」になろう。ニックネームは「タカ爺」かな。
イメージできることは実現できる。
そう思い始めたことから、意識が変化した。
「暮らすように旅をする」
Air bnbのスローガンみたいだけど、
人生を旅や航海に例えるなら、もしかすると、まだ、旅の途中ではないか?
広島での20年間も、いまだ長い旅の途中。
旅先なのである。そう思うだけで、ワクワクした気持ちが湧いてきました。
ただ、今の時点では、旅の目的地が定まった。そういう話。
また、旅先は変更になるかもしれない。でも、旅の目的地があることで、これからの暮らし方が変わるだろう。
と考えていた2年前。
では今は?というと、老後までまだ、長すぎるぜ〜ということで、まずは寄港地を定めてみました。では次回は、そのお話を。