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呪縛と原動力
わたしは昔から、ホラーからエロまで、視覚より文字や言葉でリアリティを体感するタイプで、仕事のプレゼンでも音楽でも文字や言葉に込めるものにこだわりたくなる人間。
言葉。
相手のことを思って発するもの、感情的に発するもの、何も考えずに発するもの。
どんな場面か、誰が誰に発するか、受け取り手の状態はどうか。
いろんな要素が絡まるので結果は1つでもなく、言葉によるコミュニケーションはいつも難しい。
(なのでわたしは昔から極力表情やボディーランゲージ的なもので表現の補完をしているが、年を重ねてただのおばちゃんになりつつあり、むしろ気をつけないといけないという話は一旦置いておこう)
言葉は毎日たくさん交わされるので、大体のものはそのまま流れていく。だけどたまに心にとどまって、それが呪縛になったり原動力になったりする。
わたしの場合。
「多芸は無芸」
学生時代に言われ続けていたフレーズ。
昔から幸い興味の幅が広く、努力ができる人だったのでそれなりに何でもできたけど、人よりひとつ秀でた才能的なものがみられるジャンルはない。
意外とこういう人はいると思うけれども、わたしも例外ではなく。
結局人に期待だけされて芽は出ないので、多芸は無芸よ、あなたは何ができるの、と事あるごとに言われて勝手に挫折パターンが無駄に多い人生だった。
それゆえ、基本わたしは自分に全く自信がないし、ちょっと褒められても、誰でも努力したらできますよ?してないだけでしょ?と卑屈キャラになる。
いまだにこの呪いのようにまとわりついた言葉から逃れられていない。
ただ、飲み会とかでネタなくて盛り下がることないし、大体の人の話に合わせられるし、何かしてくれと言われて何かはできる。時に多芸は多芸を発揮することも歳をとると分かってきた。
そんな時はこの言葉を俯瞰できるので、経験を重ねて脱皮してくのかなあと思う。
呪縛と原動力。
わたしの話は前者だったけど、みなさんもそういう言葉ってあるかしら。