北斗晶よ、女子プロレスに謝罪しろ!③
LLPWの設立
LLPWは1992年に弱冠26歳の風間ルミが設立した団体だ。女性蔑視の風潮が強い時代で、オンナが社長になっても3か月も持たないと言われながらの社長就任だった。
当時、全女とは別に、ジャパン女子プロレスという団体が存在していた。神取忍から「心を折る」という言葉が飛び出した、今でも語り継がれる神取忍vsジャッキー佐藤のシュートマッチが行われた団体だ。そのジャパン女子プロレスが1992年1月に経営不振で5年の歴史を閉じることになり、LLPWとJWPが誕生した。
風間はジャパン女子に在籍していたが、風間が海外のリングに上がるという話がどこからか飛び出してきて、それが会社の方針にあわないという理由で解雇されていた。さらにはおかしな怪文書なども飛び出していて、ジャパン女子プロレスの末期は泥沼な状況になっていた。
LLPWは、解雇された風間と、神取忍を含む風間を慕う選手たちで立ち上げられた。そこに、それ以前にジャパン女子を離れていた選手たちと、元全女の立野記代、長嶋美智子も加わって、LLPWの陣容が出来上がった。
一方JWPの方はジャパン女子プロレスを引き継ぐ形で誕生している。ジャパン女子プロレス内には、運営会社とは別に、グッズ販売をするための会社・JWPプロプロジェクトという会社あり、その会社が運営も行うということになり、新星JWPが誕生した。
この時に強い軋轢が生まれ、両団体はしばらく交わることはなかった。対抗戦においても、両団体は一切絡んでいない。
ジャパン女子を引き継いだJWPには道場もリングもあった一方で、LLPWはまさにゼロからのスタートだった。大手小売り会社がスポンサーにつくという話もあったが、社長の奥さんが女子の団体ということで反対してその話はぽしゃっている。26歳の女社長は、何もない状態でいきなり団体を背負うことになった。
道場がないため、当初は週末しか営業していなかったディスコ(今のクラブ)、芝浦GOLDを平日に借りて練習をつづけ、色々な人たちの助けを得ながら、貧乏ながらも8月29日になんとか後楽園ホールで旗揚げ戦を行うことができた。
旗揚げ戦では、風間ルミは入場のコスチュームにウェディングドレスを着て登場している。プロレスそしてLLPWと結婚するという意味だ。まさにすべてをかける覚悟と決意をウェディングドレスを着ることで示して見せた。
LLPWが団体対抗戦に参加することが決まったのは、その2か月後のことだ。プロレスに復帰した選手がいる上に練習も十分にできない環境で未熟な選手も多かった。さらには、ジャパン女子解散から旗揚げ戦までのブランクもあり、圧倒的に試合数が少なく、とても対抗戦に参加するための土台も体力も実力もない状態での参戦だった。
そして、団体対抗戦に参加することで世間知らずでうぶな経営者・風間ルミ及びヨチヨチ歩きの団体LLPWは、悪意の波に翻弄され、大きく傷つくことになる。
もし、LLPWが対抗戦に参加していなければ、風間ルミは名経営者になっていたんじゃないかと思う。というかなっていたと思う。一大ブームとなった対抗戦の後の反動の中、風間の才覚によってLLPWだけが生き残ったのだ。
そもそも、LLPWは団体対抗戦に参加する気はなかった。事実、神取は全女には興味がないと公言していた。しかし、全女を運営する悪名だかき松永家によるだまし討ちによる挑発行為に乗せられるかたちで巻き込まれてしまった。
シリーズ 目次
参考文献および引用元
雑誌・書籍・ネットニュース等
週刊プロレス NUMBER 1993年の女子プロレス
1995年のクラッシュ・ギャルズ ぼくの週プロ青春記
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