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山際永三監督で考えた
訃報が流れて
去年の暮れ、山際永三監督の訃報が報道された。亡くなったらしいという情報は報道の少し前から聞いていたが本当になってしまったという喪失感に迫られた。
山際監督は60~70年代、主にテレビの子供番組を中心に活躍した。その中にはウルトラシリーズも含まれる。経歴は下記のWikipediaを参考されたし。
この数年、自分がウルトラシリーズや子供番組を撮るとなったら誰を参考にしたいかを考えたときにまず思い浮かんだのが原田昌樹と山際永三だった。山際作品のどこに、なぜ惹かれたのか…
私はウルトラマンタロウが一番好きなウルトラシリーズなのだが、そのメイン監督が山際永三だった。それは山際永三だけではなく、真船禎、深沢真澄、山本正孝、岡村精といった個性の強さもある。
ウルトラマンタロウは子供番組の中で「子供を子供扱いしない」世界、「現実からイマジネーションの延長線上にある世界」を提示している事が魅力だった。それこそ山際監督の特徴なのではないか、と思う。
「山際永三 壁の果てのリアリズム」を読んで
山際永三について、顧みる動きがあまりに少ない…と思っていたところにデビュー作である映画「狂熱の果て」が発掘されたあたりから山際研究の動きが活発になり、現在のところ集大成といえる大著「山際永三 壁の果てのリアリズム」(池田嘉郎・著/森話社)が昨年、出版された。ちょうど訃報と重なるようなタイミングで、一気に読んだ。これは山際永三という作家の作家性、作品研究として一級品の名著であった。
内容はぜひご一読いただくとして、山際永三に内容される要素は以下にある事が良く分かった。
・社会の障壁と向き合う人間のリアリズム
・映像批評のリアリズムと、その果てのヌーヴェルヴァーグ
・冤罪事件等、社会問題を捉える姿勢
山際永三は新東宝に入社する訳だが、当初は松竹を希望していたという。大庭秀雄を敬愛していた反面、木下恵介や成瀬巳喜男には否定的なスタンスであった。これは同時代の篠田正浩、増村保造などと同調する邦画の封建的な枠に収まる構造を否定するスタンスである。
そうした社会的関心を持つ山際永三が新東宝の師匠として挙げているのは石井輝男なのだが、むしろ「超現実」としてお化け映画を映画の枠から救い出した中川信夫に影響を受けているような気がする。
源流にあるのは、大庭秀雄、石井輝男、中川信夫なのだな…というのは私にとって非常に興味深く、先に上げた3点を体現する師匠だったように思える。
狂熱の果て
助監督と並行して映画批評をしていた山際永三のバイタリティは、助監督という仕事をしている私からして恐ろしい体力である。新東宝が倒産する間際に、大宝配給で制作された「狂熱の果て」で監督デビューする。幻の作品だったのが2018年に発掘され今ではソフトと配信プラットフォームで観る事ができる。
ドキュメンタリータッチで描かれる、まさにヌーヴェルヴァーグの一本。石井輝男の影響を指摘する声もあるが、確かにそのシャープさに似た臭いを感じつつも、どちらかというと同じ新東宝の名作「地平線がぎらぎらっ」(土居通芳監督)との親和性が高い。よく似ているのだが、こちらの方が観念的な展開が続き、アントニオーニ風だ。アウシュビッツ遊びとして不良たちが死体ごっこをする場面の居心地悪さはフェリーニの「甘い生活」も彷彿とさせる。瓦解する新東宝と心中するかのような無軌道なエネルギーを俯瞰した目線で描く、演出の確かさと、何より野心を感じる。
鈴木義昭著「桃色じかけのフィルム」の中で監督が「私は、テーマ主義者なんです。映像派じゃない。挫折した者への共感。それが、僕の全作品に亘る共通したテーマなんです」と語っている。この眼差しが子供番組における子供の世界を「あり得る世界」として表現できた理由だと思うのだ。
しかし、劇場映画としてはこの一本で終わってしまう。新東宝の猥雑さと大船調の文学性が同居した映画をもっと見たかったと思う。
チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグ
私のライフワークはチェコスロバキア・ヌーヴェルヴァーグ研究である。チェコスロバキア・ヌーヴェルヴァーグは雪解けの時代を迎えるプラハの春直前、60年代に共産圏でありながらヌーヴェルヴァーグらしいドキュメンタリー的、実験的な映画がつくられたムーブメントである。日本ではまだまだ知名度は低く、ヴェラ・ヒティロヴァ監督「ひなぎく」が最も有名だろう。2017年、チェコ映画の研究家を中心に「チェコスロバキア・ヌーヴェルヴァーグ」という書籍を出版した際に私も少し協力したのだが、ここで60年代に日本でのチェコスロバキア・ヌーヴェルヴァーグ紹介に尽力した粕三平氏と山際永三の交流があったという事だ。
先に上げた「壁の果てのリアリズム」の中で、松本俊夫などの映像芸術の会にてチェコヌーヴェルヴァーグの上映会に参加した山際永三がいかに関心を持ち、その影響で「罠」という実験映画を監督するまでが綴られている。
ああ、だから山際永三が好きだったんだな…と私は腑に落ちた。大興奮である。
粕三平氏はその後もチェコアニメの巨匠イジー・トルンカの紹介や、スタジオ200でのチェコスロバキア映画の上映会などチェコ映画普及に大きく貢献した人物だが、映像芸術の会など論客の場には常に山際永三と共にいたようだ。「壁の果て~」で詳しく紹介されている「罠」に出演したチェコ人のヴラスタ・チハーコヴァーさんもまた、彼女なしに日本でのチェコ映画を語る事はできない重要人物である。
山際永三はチェコスロバキア・ヌーヴェルヴァーグの諸作品を見て「表現的なイメージの連続、意識のリアリズム、意識のドキュメンタリー(意訳)」と評して高く評価していたという。
チェコスロバキア・ヌーヴェルヴァーグの特徴として寓話性、主観と物語に頼らないモンタージュが挙げられるだろう。国による検閲で自由な表現ができないため、暗喩、幻想的、衝突のモンタージュの多用といった工夫が観られる。それゆえに結果として観客に強いイマジネーションを与える。さらにもともとチェコ映画が持つポエジーな要素もあり、恣意的な映像の坩堝が魅力だ。
そうした抑圧されたイメージの連続がリアリズムと社会を捉えようとする山際永三に合ったのではないだろうか。例えば怪奇劇場アンバランスでの「仮面の墓場」にはそうした影響を感じなくはない。
ここで、長くなるが山際永三が観たチェコスロバキア映画について紹介していく。
ヤン・ニェメツ「一口のパン(Sousto)」(1960)
ヤン・ニェメツ「夜のダイヤモンド(Démanty noci)」(1964)
当時ATGで唯一日本公開されたチェコスロバキア映画。強制収容所から逃げる少年二人のプラハの幻想と無味乾燥な現実が交錯する名作。
パヴェル・ユラーチェク「支えがほしい(Postava k podpírání)」(1963)
身の回りの物が消えていくカフカ的不条理劇。
ヒネク・ボチャン「誰も笑わない(Nikdo se nebude smát)」
個人の孤独を乾いたプラハの映像で綴る。
ヤン・ロハーチ、ヴラジミール・スヴィターチェク「もし千本のクラリネットが(Kdyby tisíc klarinetů)」(1965)
軍隊の武器がすべて楽器に替ってしまうミュージカルコメディ。
ミロス・フォアマン「黒いペトル(Černý Petr)」(1964)
即興演出によって思春期の親離れを描く。
子供番組を撮るならば
山際永三の作品がなぜ好きなのか、段々とわかってきた。
初めて帰ってきたウルトラマンを監督する時に「現実(日常性)と虚構(非日常)の橋わたしを考えたい。表現派的な何か!」とメモを残しているという。これはウルトラシリーズの本質ではないだろうか。その「怪獣少年の復讐」は父の死がエレドータスによるものだと信じてもらえない足を引きずる少年が、エレドータスが出現し倒されることで歩けるようになるというような概要なのだが、特撮シーンが必要ないくらいに本編のドラマが充実している。メモにあった橋渡しは成功している上に、作品のテーマがぶれずに本編の補完として特撮が機能する。特撮作品として理想的なバランスだ。
山際作品の子供はシリアスだと思う。子供はいつでも生きるのに必死で、自分を守るために色々な世界を想像する。それはまだ世間を知らず経験値が浅いからだが、「社会への壁」に衝突する子供にしか捉えられない世界の中に怪獣が現れる。つまり精神世界の映像表現であり、まさに表現主義的な「映像」で「世界を切り取る」行為である。
ウルトラマンタロウのタイラントの回など、地球では正月に自転車の練習をする健一と光太郎、対して宇宙ではタイラントにやられるウルトラ兄弟、という相反しそうな内容を見事に「何かに打ち勝つ」というテーマに包む。
ウルトラマンタロウの第一話はとても30分と思えない情報量をギミックを用いながらテンポよく描き、アルチザンとしての手腕もここで光る。
個人的に、最も山際作品らしさを感じたのは「ぐるぐるメダマン」の「ミーラ男がお父さんだって!?」だ。父を急に亡くした女の子が、ミーラ男をお父さんだと思い込む。ここまでは普通なのだが、父と約束したボート遊びをする女の子を見て母がメダマンたちに言う。「あの子も本当はお父さんがもういない事を分かってる。でもその死を認めて乗り越える為にミーラ男をお父さんだと思うようにしている(意訳)」
父の死という壁を乗り越えるためのロールプレイに付き合うお化けたち。そこには慰めなどの偽善的な行いはなく、ただ自立に向けた儀式だけが行われる。これは子供を信じる、人間を信じる優しさだ。
そのキャリアの多くが「チャコちゃん」「コメットさん」といった子供番組だった山際永三にとって、現代を描く媒体として子供を捉えていたのではないかと思う。例えば小津安二郎「生まれてはみたけれど」やジャン・ヴィゴ「新学期・操行ゼロ」のように。
「狂熱の果て」は実は公開当時、成人指定された作品でもある。新東宝は倒産後、傍流がピンク映画を生産しはじめる為に小林悟など何人かの監督はピンク映画の監督として活躍した。山際永三はそちらに流れる事もなく、批評眼を持ちながら自分の作品で常に戦ってきたという印象だ。
特に、批評に関しては単に見た映画の感想という安易なものではなく、撮影所の内側から内省的に、あるいは制作側の立場に立った批判などを続けていた。この姿勢を見習って、自らの所信を表明していけるように発破をかけたいものである…
都合5年、私はウルトラマンの現場で助監督や監督をしてきた。子供に向けて描くべきことと大人に向けて描きたい事、さらに社会批評性をそこに持ち込もうとしたときに起きる矛盾を強く感じ続けている。特にこの10年ほど、かつての子供番組が持ちえた一種の批評性やテーマ性が薄れていく傾向だ。原因は制作体制だけの問題ではないが、キャラクターが先行しない番組を今後、ウルトラマンで作ることが可能なのか。その悩みを助けるのは山際永三の視点なのかもしれない。