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ウッドペッカーのくちばし

はじめに

この間はじめて、USJに行った。
そこはとても面白くて、おもちゃ箱をひっくり返したみたいなごちゃごちゃした感じと、明るい雰囲気があった。
 私はそこではじめて、ウッディウッドペッカーに出会って、ウッディのファンになった。でも、これは私にとって、非常に奇妙な出来事なのだ。
私は、私の人生の中でUSJに行くことはないと思っていたのだから。

ディズニー

 私を語る上で、ディズニーを抜きにしては語れない。でもどうして、ウッディがタイトルなのにディズニーが出てくるのか?
 理由はとても単純で、私はかつて、ディズニーを熱狂的に愛していた。狂信的で最早宗教のよう。私が一番辛いとき、一番悲しいときに寄り添ってくれたのはディズニーだった。
 私はミッキーマウスが大好きだし、ミニーマウスも大好きだった。中学生の頃はDlifeを観てから学校に行っていたし、修学旅行の当日はミッキーの摩天楼狂笑曲を観てから修学旅行に向かった。
 本気でディズニーキャストになりたかったし、香取貴信の本や鎌田洋の本をたくさん読んだ。
 ディズニーランドは、私にとっては居場所だった。ディズニーランドは私に微笑みかけて「楽しんでる?」「ポップコーンはどう?」「ミッキーにはもう会った?」と尋ねる。私はそれを聞いて心地よい気持ちになる。アトラクションに乗り、ミッキーに会い、トゥモローランドの音楽を聴いてテスト勉強のことを思い出す。帰る頃には「もうやだ」「帰りたくない」と駄々をこねる子どものように現実に戻ることを拒否する。それを見ているディズニーは、やっぱり私に優しく微笑みかけてきて、「行ってらっしゃい」と言う。ディズニーランドで「行ってらっしゃい」と言われると、まるでディズニーランドが帰る場所のような、いつでも帰って来れるのだと安心感に包まれる。

USJ

私はディズニーが大好きなので、オズワルドのことも勿論知っていた。細かいことは省くが、簡単に言うとオズワルドの権利を所有していたのはユニバーサルスタジオだった。歴史を見るとユニバーサルが権利をディズニーから取ったような感じなので、勝手に敵視して毛嫌いしていたのだ。

 でも、私も大人になって、そういった出来事を「歴史として」よりフラットに見ることができるようになった。面白い、といったら語弊があるが、どうしてそうなったのか、どんな流れなのか、そういう見方ができるようになっていて、行ってみたいと思うようになった。

友達に連れて行ってもらって、私はUSJが好きになった。


ウッディー・ウッドペッカー

 真っ先に思ったのは、クルーの距離が近いことだった。友達みたいに話しかけてくれて驚いた。
 冒頭でも書いたが、USJはおもちゃ箱をひっくり返したみたいにごちゃごちゃしていて、「面白い」がぎちぎちと詰め込まれたみたいな感じだった。実際とても面白かった。
 ゲートをくぐるとウッディーウッドペッカーがいた。私はあの時のことをよく覚えている。
 知らない場所はやっぱり少し心細くて(友達はUSJのヘビーユーザーだった)、キャラクターがいてなぜかホッとしたのだ。エントランスで出迎えてくれるディズニーと重ねたからかもしれない。
 彼と握手をしようと近づくと、彼は私を見つけ、胸元に貼られているエルモが書かれたシール(1st visit!)を見るとそれを指差して、「初めてきたの?」と優しく笑いかけた。「そうだよ、はじめまして」と返すと、「わー!ありがとう!」というように腕を大きく広げて強く抱きしめてくれた。それがとても心強くて、嬉しかった。
 友達が写真を撮ろうと構えると、「あっちみてごらんよ、一緒にとろう」と私の視線を誘導して、手を繋いで一緒に写真をとった。
 本当に嬉しかった。

 でも、ウッディーは人気がなかった。人が途切れると暇そうに歩いて、可愛い女の子に「ぼくと写真をとらない?」とナンパして「あ、いいです…」といわんばかりの仕草で無視をされる。それも日常茶飯事みたいで、傷ついてないけどね、とまたフラフラ歩きだしていて、面白くて遠くから眺めていた。私はさながら恋する乙女みたいだった。
 その後、私はウッディーの帽子を買った。真っ黄色で、くちばしのように長いつばを着けた帽子。また会えたら自慢しようと思った。
 可哀想なウッディー。私が好きになってあげるからね。

その後

 その翌日。私はウッディーとまた会えて写真を撮って、ウィニーにも会えて二人に帽子を褒めてもらった。
 しばらくパーク内を散策して、ユニモンを2回見て帰った。

 その一週間後、私はウッディーにドハマりした。四六時中彼が出ているカートゥーンを見て、デザインが変わっていることや、彼を描いたウォルターランツは、オズワルドも作っていたことがわかったり、気狂いキツツキと呼ばれていたりといろいろ分かった。
 芋づる式にカートゥーンもハマって、フォクシーやバックスバニーやトムとジェリーに手を出して、ディズニーのシリーシンフォニーも見るようになった。
短い期間でかなり前のめりにハマって、私はついにオズワルドも見た。
 昔、ディズニーのオズワルドだと思ってみてたものは、ウォルターランツが作ったもので衝撃だった。オズワルドは調べていくと面白くて、ウォルターランツが作る前のジョージウィンクラーが手がけたオズワルドがまるまると太っていて可愛いことがわかった。
 その後USJのアトラクションで乗ったという理由でジョーズを見て、洋画もちょこちょこ見るようになった。


 USJに行って良かった。
 私の世界はまだまだ狭かったこと、他にも面白いことが沢山あることを知ることができた。
 オズワルドは実は、そんなに不幸じゃないんじゃないかとか思った。オズワルドは、ウォルターランツに愛されていたと思った。外見を変えながら、どうにか長生きできるようにと、愛されていたのではないかと思った。

 そして、ディズニーが変わらず好きなことも。ディズニーには数年行っていなかったから、これをきっかけにUSJが一番好きになるのかもと思った。
 そんなことなかった。
私の一番は変わらずディズニーで、ミッキーマウスだった。あの王国と、王国の王子様のことがずっと好きだ。
 でも、優劣をつけることができないくらい、USJも面白かった。あそこはまるで、友達に会いに行くみたいな場所だった。

 久しぶりにミッキーに会いたくなった。

 私が会いに行ったら、彼らは「久しぶりだね」と笑いかけてくれるだろうか。
 帰るときに感じる、どうしようもない寂しさと勇気をまたくれるだろうか。

 それとも目移りをしたと、私を怒るだろうか。

 そんなことを知った、ウッドペッカーのくちばし。


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