![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/151861435/rectangle_large_type_2_17dd1bbb8260906537ad3dfb5ba24bac.png?width=1200)
1年間の絶縁がもたらしたもの
S君が、YouTubeの投稿をしなくなったので、いたく心配していた。
久々にLINEするか、と画面を立ち上げると、もう1年近くもS君とLINEをしていなかった。
思い返せば、最後に会った時、彼は今まで見せた中で一番、心細そうで、消え入りそうな表情をしていた。
あれは、やはり暑い日で、温泉地の真ん中にある池のほとりで、私はS君と話す機会を得た。
別れ際に見せた、あの泣き出しそうな顔を、私は忘れない。
S君の故郷には彼の理解者がいないのだ。
そのアイデンティティを認め、尊重し、それに見合った将来を一緒に考え、彼の成長に向けて肩を押してやれる人はない。
今の彼は、ただ生ぬるい、保守的な田舎社会の人々に流されるまま生きてしまった結果だ。
(私はもう十分に君に言ったし、働きかけたし、あとは君が変わるだけなんだ)
どうしようもなく切ない気持ちを抱えたまま、私は渋滞に巻き込まれながら、帰宅した。
夫が怪訝そうに、遅く帰宅した私を見ていた。
その時の、やるせなくて辛い気持ちは、昨日のことのように思い出せる。
実を言うと、私はもう、2度とS君に会えないかもしれないと思っていたのだ。
彼が勇気を出して変わらなければ、もう私たちが遠距離を越えて会う意味もないし、話すこともないのだ。
それだけが、私の世界から彼が消えてしまうのが、恐ろしかった。
1年前、「人生においては自由がすべてで、お金なんて大事じゃない」という私たちの共通の理想が、彼自身を苦しめていた。
しかし、自由に生きることと、お金を使わないで生きることは、同じではない。
自由に生きるためにも、それなりに、やりたいことに費やす金は要る。
旅を通じて彼は、それを痛感せざるを得なかった。
金が要るなら、何でもいいから働けば良いだけなのだが、彼にとってそれは自分への敗北に思えるのだろう。
とにかくこうと決めてしまうと、とことん意固地で、悪い意味で諦めが悪いのだ。
私は必死で説得して、「君は変わる必要があるよ」と繰り返した。
しまいには、投げつけるようにこう言った。
「君の人生だから、君が決めてよ。
私は助けられないんだよ!
君に何にもしてあげられない!!」
真意が伝わったか、わからなかった。
一緒に過ごした時間は本当にわずかで、東西のお互いがルーツとする地域性や道徳観は、思いがけず知らない部分で、かけ離れているのかもしれなかった。
S君も、思うところがあったのだろう。
故郷に帰ると、動画投稿がみるみる減り、「今まで動画に依存していた」とまで吐露するようになった。
やがて、やっつけのように動画をあげるようにはなったが、嬉々としていた時期とは比べ物にならないクオリティだ。
こうなってしまったからには(或いは、私が彼をそうさせたのかもしれないが)、彼を一人で悩ませておこうと思い、私もSNS上の絡みを断った。
そしてまた、8月が来た。
S君がすぐにLINEを返してくれたのは意外で、「久々に話そうか」と言ってくれたのも驚いた。
あいつは何が言いたいんだろう。
私は、あまり良い知らせじゃないだろうと、不安に思っていた。
彼から「詐欺にあった」という言葉が出てきたからだ。
S君は極度の繊細さんで、HSPなのだ。
一度、ものすごく落ち込んでいるときのS君の声を聞いたことがある私は、彼の苦しみを受け止める覚悟を決めていた。
夜になって、「今いい?」と、LINEが来た。
珍しかった。いつも、私の方から呼び出していたからだ。
「おお、久しぶり!」
S君はなぜか外で通話しているようだった。
思いの外、カラッとした声で話す。
元気なようだ。
「詐欺にあったんだって?どうしたの?」
「どんな詐欺におうたと思うん?」
S君は、声を低くして逆に聞き返してきた。
「(おぉ!訛り強くなってんなぁ…)ええ、私が?」
「どんなやと思うん?」
「そりゃあさ…最近よくあるけど、代わりに投資するって言われてさ、君はいくらかお金預けたんだろ?それで取られたんだろ!」
S君は鼻で笑った。
「違うわ!そんなん引っかかるか」
「えっ、違うの?」
「俺がそんなん、引っかかると思うんか!そんな男やと思うんか?」
金も仕事も女もないくせに(女は知らないが)、相変わらず妙な男臭さとプライドの高さだけはキープしてんだ、と私は懐かしく思い、感心した。
近況によるとS君は、短期投資を本格的に始めるために、日夜研究しているらしい。
確か去年、彼に投資家の上司の話をした覚えがある。
人が働かずにお金が働くという、不労所得のことだ。
彼は、「冒険投資家」を目指している、とのたまった。
「冒険投資家???なんだそれ、すげーじゃん!!!」
私は、驚きと喜びでごちゃまぜになって、彼の住まう地域の女は絶対使わないであろう「すげー」という言葉を連発してしまった。
S君によれば、彼が引っ掛かった詐欺は「なりすまし詐欺」というやつで、警察官を名乗る男に言葉巧みに誘導され、指定口座にあり金を振り込んでしまったらしい。
冷静に考えれば、そんなの嘘だろうと思うような手口だったが、世間知らずのS君は騙されたのだ。
もっとも彼も、日頃からストレス発散をかねて犯罪すれすれの悪戯を動画にし、YouTubeにあげているから、警察と聞いて潜在意識で無条件にひれ伏したのだろう。
友達に話したところ、「それ詐欺じゃないか?」となって、初めて気が付いたのだと言う。
なんて、純朴な田舎の男だろう!
それが裏目に出てしまうとは!
私は苦笑いして頭を抱えてしまった。
さらに驚くことに、詐欺師に盗られた金は、あれだけ働くのを嫌がっていた彼が、数か月の夜間バイトで貯金した金だったのだ。
(とうとう働いたのか、君!!!)
そのことだけでも十分、私は手放しに嬉しかった。
彼は自分に勝ったのだ。
この1年間、S君は私が最後に送ったLINEを未読スルーしていた。
なので私は、諦めたり、信じたり、心配したりを繰り返していた。
寂しかったが彼に必要な時間だと思い、我慢して、一切こちらから連絡しなかった。
この1年間、新しく他の誰かと知り合う機会に恵まれたが、彼から受けたような衝撃や、引かれ合うような感覚はなかった。
私たちが去年、あんなに真剣に語り合った時間は決して無駄にはならなかった。
S君が、その努力によって無駄にしなかったからだ。
それどころか、彼は少しずつ殻を破り、新しい一歩を踏み出そうとしている!
S君と話していると、同じ男とは思えないくらい、人間性の芯が固く引き締まり、頼もしさが身に付いていた。
彼は、SNSで視聴者に向けてそういった自分の近況や考えを明らかにしたかったようだが、アカウントバレしてしまい、家族や地域の監視の目がさらに厳しくなって、彼をがんじがらめにしてしまった。
そういう訳で、HSP気質の彼が、自分の半生の苦しみを時々吐き出していたブログは、更新できなくなってしまったのだ。
ごくごく限られた人だけが、彼の近況を知っていることになる。
私も、そのうちの一人なのだ。
「また話そう」
「年内に、関東に行っておきたいんよ。雪が降るけえ」
S君はそう言い残して、通話を切った。
その声には、少しだけ、私と会える期待を含ませているのだ。
私はとても、嬉しかった。
S君は、この世の星の数ほどいる配信者のうちの一人だ。
これをお読みの方も、見つけることがあるかもしれない。
時々、彼の動画は数十万回の視聴回数をたたき出す。
武骨で飾り気のない、シュールな動画を1万本近く、およそ十年にわたってあげ続けてきた。
私は、彼の力を信じているし任せたいので、あえて宣伝しないが、優しくて繊細な彼に出会った一人でも多くの人が、応援してくれることを祈っている。