自分の親が毒親だと気付くまで
実は、自分の親のことを「毒親」だと思うようになったのはつい最近のこと。
自分の親はちょっと変わっているけれど、親との関係がうまくいかないのはきっと私にも原因があるし、どこの親子にだってうまくいかない時はあるものだ、そう思いながら長年生きてきました。
しかし、徐々に「自分の親はちょっと変わっている」とか「うまくいかない時はある」程度だとは思えなくなり、ここ数年は親との関係を断ちたいとしばしば思うほど、親への嫌悪感が強くなっていきました。
そして「毒親」という言葉が私の頭をよぎるようになったのですが、ネットでかるく「毒親育ち」や「アダルトチルドレン」を検索すると、こういった人達の特徴として下記のようなものが出てきます。
・自己肯定感が低い
・人間関係の構築が苦手
・すぐに人の機嫌をうかがってしまう
・いつも不安 などなど…
どれも自分には当てはまらず、私は毒親育ちでもアダルトチルドレンでもないんだな、と感じて、本やホームページをそれ以上読み進まずに閉じることが続きました。
しかし、「親といるとなぜか苦しい」という本を読み始めた時、「毒親(同書では「精神的に未熟な親」と表現されている)の特徴」が書かれており、自分の親に当てはまる項目がたくさん書かれていたのです。
同書の内容を全て書き出すのは問題があるかと思うので避けますが、親の精神的な未熟さの尺度として挙げられていた3つの要点が全て当てはまり、それらをブレイクダウンした項目もたくさん当てはまったのです。
この時初めて、毒親育ちやアダルトチルドレン関連の書籍を最後まで読み進むことができ、今までの自分の苦しみが認められて肯定されたような気がしました。もちろん、今までも夫や友人にも都度相談したり、愚痴をこぼしたりしていましたが、意識的に「毒親」という言葉は使わずに、「親との喧嘩」として話をしていました。しかし、「親との喧嘩」として捉えるには、自分の中での親への嫌悪感が大きくなり過ぎて、とても苦しかったのです。その後、複数の書籍やコラムに目を通し、少しずつ心の中を整理しています。
親に対する嫌悪感が増大してもなお、私が自分の親に対して「毒親」という認識を持つまでに時間を要した理由を自分なりに考えてみました。
1.幼少期にはさほど問題がなかった
2.嫌なことを忘れるスキルが高過ぎた
の2点に集約できるかなと思います。
1.幼少期にはさほど問題がなかった
幼少期の私は、親も周囲も認める、お利口で育てやすい子供でした(自分で言う?)。勉強や運動もでき(自分で言う?)、積極的に大人の手伝いをし、何事も要領がよく(自分で言う?)、第一子が親の地雷を踏む姿を見ているために親が怒ることは避けて行動し、母からすると叱る必要も、抑圧・制限の必要もなかったのだと思います。家庭内ではたくさん褒めてもらった記憶もありますし、愛されていた実感もあります。また、学校や習い事、家庭の外に出ると、先生や周囲の保護者の皆さんがひたすらに褒めちぎってくれて、同級生もすごいすごいと褒めてくれて(みんな優しい)、私の自己肯定感は非常に図太く堅固にエベレストのごとく高く育ちました。親からされて嫌だったことももちろんありますが、全体としては自分の基礎を安定して築くことができた幼少期であったのだと思います。
2.嫌なことを忘れるスキルが高過ぎた
かなり幼い頃から嫌なことが起きると、頭の中のゴミ箱にダンクシュート、もしくは頭の中のトイレにジャーッと流してしまうことができていました。小学校低学年には、紙に嫌だったことを書いてビリビリに破いたりグシャグシャにしてゴミ箱にダンクシュートするようになり、小学校高学年には日記に書いて、自分の中での消化の仕方のパターンを考えるようになりました(これが独り言の壁打ちの始まりだったのでしょう…)。
今から何年も前、長男のイヤイヤ期で悩んでいた時に友達に勧められた本が、自分の中のインナーチャイルドに向き合うワークを複数こなすもので、幼い頃に親からされて嫌だったことを書き出すワークがあったのですが、幼い頃から嫌なことを忘れることに長けていたがために、全然思い出せませんでした。
このように、幼少期の私は毒親育ちほど辛い思いをすることはなく、嫌な記憶もどこかに投げ捨てて生きてきたため、自分の親が「毒親」だと思うまでに長い時間がかかりました。
しかし、中学生以降、徐々に母の過干渉・過保護さは加速していき、私が成人した後も途絶えることなく続き、今日に至ります。また、さほど問題がないと申し上げた幼少期にも実は火種はあり、次回以降少しずつ書いていきたいと思います。
お読み頂いてありがとうございました。
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